包囲下のレニングラードへの鉄道開通

=ロシア通信撮影

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1943年の今日、2月5日に、ドイツ軍に完全包囲された、ソ連第2の都市レニングラードへ鉄道が開通した。通称は「勝利の道」。氷結したラドガ湖を通る、名高い補給路「命の道」に代わるものだった。

これは、ポリャーナからシュリッセリブルクまでの臨時鉄道で、1943年2月5日から1944年3月10日まで使用された。通称は、「勝利の道」。氷結したラドガ湖を通る、有名な「命の道」よりも効果的に食糧を輸送できた。

ルートは、ネヴァ川左岸を通ったが、いくつかの区間では、ドイツ軍の砲兵陣地から3~4キロの至近距離を通ったため、「死の回廊」とも呼ばれた。

レニングラード包囲戦 

レニングラードは、1939年の時点で人口319万人を数えたが、独ソ戦の開始後まもなく、独軍に完全包囲され、約900日(1941年9月8日~1944年1月27日)におよぶ包囲戦のすえ、70~100万人が飢えや爆撃で死亡した。

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