世話を頼まれている子どもが2人、6歳の女の子と男の子で、週に一度、スポーツ教室とダンス教室に連れて行かねばならない 写真提供:avito.ru
「教えます:絵、焼絵、木彫、彫金、チェス、チェッカー、ほか。送り迎えします:映画館、劇場。調理します:シチー(キャベツスープ)、スープ、粥、ハンバーグ、シャルロット・ケーキ。67歳。大卒。悪癖なし」――ビャチェスラフさんはこんな広告をインターネットに載せた(「名声は欲しくないので」自分の名前は名乗らなかった)。
もう一年ほど「おじいさん」の仕事をしていると言う。「両親が仕事に行っている間、子どもを見てくれる人がいない、と知人の多くがこぼしていた。いつか『日曜パパ』の広告を見て、『日曜おじいさん』の仕事だってできないわけはないだろうと思った」とビャチェスラフさんは言う。
もともと子供好き
自分には教育の経験があると、彼は請合う。息子が小学生の頃、ビャチェスラフさんは、息子の学校で焼絵のサークルを指導し、政治広報の授業を受け持っていた。「私は、子どもたちと勉強したり、子どもの親たちと交流するのが好きなのさ」とビャチェスラフさんは言う。今、この「日曜おじいさん」には、世話を頼まれている子どもが2人、6歳の女の子と男の子で、週に一度、スポーツ教室とダンス教室に連れて行かねばならない。子どもたちは彼を「スラーワおじいさん」と呼んでいる。
4歳から12歳まで
「広告を出したのは、全部で2度だけ。顧客はそんなに多くは要らないから」と「スラーワおじいさん」は言う。彼は、広告の提案に関心を示した人たちを自宅に招く。彼が一番よく聞かれるのが、家族や孫たちや悪癖のこと。ビャチェスラフさんにとって大切なのは、子どもが同じ地区に住んでいることと、年齢が4歳から12歳であることだ。「この年齢の子が好きだ。本当に小さな子は、ママに会いたいと言って泣くし、思春期の子とは共通の言葉を見つけるのが難しい」。
自分の息子と4歳になる孫のところに行くのは、週に一度。毎週金曜に行くが、行くのに1時間以上かかる。そのほかの日、ビャチェスラフさんは一人だ。「妻は脳出血で亡くなった。3年間、妻の世話をして、料理もおぼえた。」スラーワおじいさんの話だと、料理は実際に何でもできるが、なぜか顧客たちは彼の料理の腕には関心を示さないとのこと。「ひょっとしたら、私が彼らの家で長い時間を過ごすのを望まないのかもしれない」と彼は推測する。
「亡き妻のようなひとは見つからない」
ビャチェスラフさんは、ソコリニキ公園の近くに住んでおり、公園ではいつも年配者向けのダンスパーティーが催される。しかし彼は決してダンスパーティーに行くことはない。「私は一人暮らしが好きなわけじゃない。ダンスに行かないのは、よくないのかもしれないが、妻のようなひとは見つからない。それに、そんな年齢の女性たちが知り合おうとするのは、お金やマンション目当てなのさ」と彼は考える。
孤独との戦いの方法は、「おじいさん」の仕事をするだけではない。インターネットもその一つだ。彼がとくに好きなのは「無料で差し上げます」のようなサイトの交わりだ。だがそれは、彼に物が必要だからではない。「私は、何かを交換したり、譲ったりする必要はない。ただ、いろんな人と知り合い、その後で会うのが楽しいのさ。」
*元原稿
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