石油王から服役する黙想者に

映画『ホドルコフスキー』のフィート数=kinopoisk.ru撮影

映画『ホドルコフスキー』のフィート数=kinopoisk.ru撮影

オリガルヒ(寡頭資本家)から一転し、長期受刑者になったミハイル・ホドルコフスキーが、映画監督や作家から、作品の題材やインスピレーションの元として、また同僚として注目され始めている。

 映画『ホドルコフスキー』は、第61回ベルリン映画祭で好評を得たのち、同作品のコピーが上映会前に監督のオフィスから盗まれたことで、さらに大きなセンセーションを巻き起こした。

 ロシアで最大の富豪とされる石油王のミハイル・ホドルコフスキーが、当時大統領だったプーチンとの公的な論争に関わった後、詐欺容疑でノヴォシビルスク空港にて逮捕され、すでに7年以上が経つ。彼の運命は、ドイツの映画監督キリール・トゥシをはじめ、世界中の芸術家や知識人の関心を誘った。

 ホドルコフスキーは、長期間にわたる懲役刑を通じて、ロシアのビジネスマンから現代文壇の偶像へと変容を遂げた。多数のオリガルヒが強制不十分な法律に違反したり、それを無視することで巨大な富を築き上げたのに対し、ホドルコフスキーは政治により強い関心を抱いたがために、彼のみが詐欺容疑で逮捕された、と彼の擁護者たちは主張する。

 運命は、かつてはオリガルヒだったこの人物を、哲学者そして作家にも変貌させた。彼は、ロシアの芸術家たちから、題材としてだけではなく、同僚としても受け入れられるようになった。ホドルコフスキーの散文は、グラフ雑誌や反政府系新聞、インターネットなどに掲載されており、司法がもつ意味、不正行為による腐敗、絶望とはどんなものか、などについて問いかけている。

 キリール・トゥシ監督は、五年の歳月をかけてロシアを取材してまわった。そして、モスクワでの公判の際、ガラス張りのケージの中で異様に落ち着いていたこの男について熟考した。同監督は、ホドルコフスキーを取り巻く「殉教者のようなオーラに圧倒された」と語る。彼は元同僚や友人に取材するために、ロンドンやイスラエルなどにも行っている。ホドルコフスキーの息子パヴェルに面会するためにニューヨークへ、受刑者たちを取材するためには、ホドルコフスキーが収監されているシベリアの町、チタにまで足を運んだ。

 政治的弾圧、数世代にわたる流刑や拘留などの話に満ちた歴史をもつロシアでは、多くの作家に、政治に関与するか否かの理由となる個人的動機がある。

 小説家リュドミラ・ウリツカヤにとって、ホドルコフスキーの運命は、この伝統を継承するものである。9月には、ホドルコフスキーが服役中にウリツカヤと交わした書簡により、両者は文学賞を共同受賞した。これらの書簡は、ロシアの月刊誌「ズナーミャ」および独立系新聞「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙に掲載された。

 ウリツカヤの祖父たちは、20年以上を受刑者として過ごしており、彼女の友人たちも60年代に禁固刑を受けている。彼女はホドルコフスキーを、ロシア社会の苦悶の象徴、そしてロシア文学の原型としてとらえ、彼にアプローチした。 

 ロシアで最も多作な作家として知られるボリス・アクーニンは、ホドルコフスキーの投獄を、1979年のアンドレイ・サハロフの拘束とゴーリキー(現ニジニ・ノヴゴロド)への流刑と比較している。サハロフの流刑当時、ソ連で積極的な変革を信じるものは誰一人としていなかったと、彼は回想する。しかし、超大国の成立に自ら貢献した水爆開発者が反体制運動家に転じた、というこの話の道徳的反響は、結局は無視されがたいものとなる。ゴルバチョフ書記長がゴーリキーに電話を1本かけるだけで、人々が新鮮な変化の風を信じることができるようになったのである。

 トゥシ監督はホドルコフスキーの反抗心、すなわち、アメリカ合衆国に政治亡命する選択肢がありながらも、投獄されることを覚悟の上で、プライベートジェットでロシアに戻ったという、この男の勇気に魅力を感じたという。

 このドイツの映画は、金銭と監禁がいかに人格を変えるかということに焦点を当てている。しかし、この映画作品が大々的に配信される見込みはなく、ホドルコフスキーの運命に影響を及ぼす可能性は低いといえる。

 同作品の制作中、トゥシ監督はエストニア人の作曲家アルヴォ・ペルトの交響曲「ロサンゼルス」をサウンドトラックに使用する許可を得るべく、同氏のもとに自動車を走らせた。同監督は、自らの作品をこのロシア人受刑者に捧げることに情熱を駆り立てられたもう一人の芸術家に対して、「精神的連帯を感じた」という。

 こうした連帯感は、他にも広がっている。ロシアを代表する45人の作家、演出家、詩人やジャーナリストが、ホドルコフスキーと彼のビジネスパートナー、レベデフの両者を「良心の囚人」として認定するよう、アムネスティ・インターナショナルに連名で書簡を送っている。アクーニンやウリツカヤも、その署名人に含まれている。