ピョートル大帝 洋装を命じる

生活習慣も一変し、大貴族の女性は家の中に引っ込んでいたものだが、ツァーリは、舞踏会と夜会を顕官の家で代わりばんこに催すように命じ、女性はそれに出席しなければならなくなった。

生活習慣も一変し、大貴族の女性は家の中に引っ込んでいたものだが、ツァーリは、舞踏会と夜会を顕官の家で代わりばんこに催すように命じ、女性はそれに出席しなければならなくなった。

ピョートル1世(大帝)の改革についてはさまざまな評価があるが、その結果として、ロシアが欧州列強のひとつにのし上がり、国民の日常生活が一変したことはまちがいない。改革には、洋服着用や、ユーモラスな(当人にとっては悲惨な)名高いヒゲ税導入なども含まれていた。

ピョートル1世は初めての欧州旅行から1698年8月に帰ると、最初の宴会で、お祝いに参内した大貴族数人の長いヒゲを鋏で切り落とした。

正教会は、イコンの聖人はすべてヒゲをたくわえており、異端の外国人だけがヒゲを切るとして、ヒゲ切りを大きな罪とみなしていたので、大スキャンダルとなったが、ピョートルはヒゲ切りの命令を引っ込めず、ロシア人は装いを洋風に改めねばならぬことになった。

ヒゲの累進課税 

もっとも、しばらく経つと、高い税金を払うのと引き換えにヒゲ切りを免れることになった。この有名なヒゲ税は累進課税で、富裕な商人は年100ルーブル、士族(新興の貴族)は60ルーブル、その他は30ルーブルだった。ヒゲ税を払うと、ヒゲ許可証がもらえた。

農民はヒゲをたくわえてもよかったが、都市の出入りに際しては関所で1コペイカ払わねばならなかった。ヒゲが無税だったのは僧侶だけである。

洋装し舞踏会へ行け 

1700年1月15日には、長くて不便な、昔ながらの服を洋服に着替える命令が出された。女性は、サラファンと胴着の代わりに、スカートをドレスを着なければならなかった。

また、生活習慣も一変し、かつて大貴族の女性は家の中に引っ込んでいたものだが、ツァーリは、舞踏会と夜会を顕官の家で代わりばんこに催すように命じ、女性はそれに出席しなければならなくなった。

夜会は夕方5時ころから夜10時ころまで続き、ホールにはタバコとパイプを載せた机や、チェス、駒取りゲームなどをするテーブルが置かれた。ホールはタバコの煙が立ち込め、チェスの駒の音で喧しかったが、トランプをするのは許されなかった。