この作品は、カミーユ・サン=サーンスによる組曲「動物の謝肉祭」の「白鳥」を用いたもので、湖の白鳥が傷つき、必死にもがいて、やがて息絶えるまでを描いた。ミハイル・フォーキンが1907年に、アンナ・パヴロワのために振り付けた。
来日公演で感動を呼ぶ
アンナ・パヴロワの代表作のひとつで、絶品であったため、彼女の死後しばらく、マイヤ・プリセツカヤが別の振り付けで踊るまで20年間は、あえて誰も踊ろうとしなかった。
パヴロワは、革命前にイギリスに移住し、そこを中心に世界各地で公演を行った。1922年には来日して、全国8都市で踊り、バレエの真髄を広く知らしめて、日本にバレエが根付くきっかけのひとつをつくった。
アンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」は、ビデオも残っており、市販されている。
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