ゲオルギー・プレハーノフ
集会の背景には、工業化の進展とそれにともなうストライキの増加、そして、ナロードニキ(人民主義者)などの革命運動の活発化があった。
この集会を組織したのは、ナロードニキの秘密結社「土地と自由」、および、この組織と関係をもつ労働者のサークルだった。
広場には、約400人が集まり、鉱山学校の学生、ゲオルギー・プレハーノフが熱弁をふるった。彼はのちに「ロシア・マルクス主義の父」と称されるイデオローグとなり、1917年の10月革命を目の当たりにすることになる(もっとも、革命には幻滅し、「史上最悪の災厄」と呼んだが)。
警察は、30人以上の参加者を逮捕し、集会を強制解散させる。逮捕者は裁判にかけられ、厳しく処罰された。
この後、「土地と自由」は分裂し、そこから反体制テロ組織「人民の意志」が生まれる。この組織は、皇帝暗殺による反乱を生じさせようとはかり、1881年にアレクサンドル2世を爆殺することになる。
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