ロシアの広大さ実感

ロシアに最初の鉄道がお目見えしたのは19世紀のこと。当時ペテルブルクからモスクワヘの鉄道の旅(約700㌔)は21時間を要していたが、皇帝ニコライ1世自ら2都を結ぶ鉄道の建設を命じたという。それからほぼ1世紀半後、鉄道網は総延長約8万7000㌔に及び、カリーニングラードからウラジオストクへとロシアの両端を結び、世界第2位の距離となっている。

終着駅まで1週間

ベリア鉄道の建設はラジオストクで1891年に始まった。現在最速の列車はスクワロスラからラジオストクまでの9298キロ時速約64キロで6夜と2間で走破する。近まで世界で最も走行距離の長い列車 9714キロコフラジオストク間を174時間10分で結んでいた
はキエフラジオストク間の1万259キロ乗り換えなしに
187時間50分で結ぶ列車が世界一の遠距離列車となっている。

カーブは人さし指?

最初の鉄道がロシアにつくられたのは19世紀。当時はサンクトペテルブルクからモスクワまでの片道700キロの鉄道移動に21時間かかった。 この鉄道建設を命じたのはニコライ1世。工事完成を焦った皇帝は地図の上でサンクトペテルブルクからモスクワに定規をあてて「鉄道はこうなる」と直線を引いたが、人さし指が定規からはみ出して、その部分だけ直線が曲がってしまった。そのため、一部に小さなカーブ付きの鉄道ができ上がったという。 ただこれは単なるうわさで、実際には経済的理由で最短距離の直線にした。カーブは、敷設が難しかった谷間を迂回(うかい)したにすぎない。

途中は四つのルート

シベリア鉄道は、北部、南部など四つに分類されるが、すべてそれらはモスクワからウラジオストクへ至り、停車する駅が異なるにすぎない。

旅行者に最も魅力的なのはリャザン、サマラ、ウファ、ペトロパブロフスク、ノボシビルスクといった古都を通過するルートである。
ソ連で生まれた多くの人にとって、列車は際限なき忍耐克服のシンボルとなった。バレンツ海沿岸と西シベリアを結ぶ大北方鉄路は極めて重要な「共産主義の偉大なる建設」の一つであった。
その極東部分、すなわち「バム」として知られるバイカル・アムール鉄道は1974年に「全ソ連邦コムソモール緊急建設工事」と名付けられ、ソ連の70を数える民族の若者がシベリアを目指した。
厳しい地質および気候条件(冬には気温が氷点下50度を下回ることもある)のもとで進められた鉄道の基本部分の建設は12年以上を要した。最難関の一つであるセベロムイスキー・トンネルは2003年にようやく常時運用されるに至った。
バムの建設者、主として献身的労働の精神に触発された若者たちは、建設中の鉄道沿いに建てられた木造の仮設住宅に住んでいた。

鉄道に錨のマークとは

19世紀には、鉄道員はボタンに錨のマークのついた制服を着ていた。当時、鉄道は地上・海上交通省の管轄下にあったため、錨がシンボルだった。1930年代にようやく、そのマークは、鉄道によりふさわしい工具のレンチに替わった。

暗い過去も併せ持つ

しかし、コムソモール員たちよりはるか以前に囚人たちが鉄道の建設に従事し、1932年に極東にはバイカル・アムール強制労働収容所が創設されていた。同様の収容所が1947年から1953年にかけて極北ウラル地方にあり、8万人の囚人が「死の鉄路」として知られる極北横断鉄道の建設に従事していた。

その建設テンポはバム鉄道と比べて思わしくなかった。北極圏内を皮切りに建造される極北横断鉄道は、ムルマンスクからチュコトカの諸都市まで国内のすべての北方の拠点都市を結んで極北開発構想を実現することになっていた。

幻の極北鉄道

極北鉄道区間は機密扱いにされていたが、1950年代のスターリンの死の直後に建設が打ち切られた。現在、この鉄道の大部分は放置され、無人の町は荒廃の一途をたどっている。
ロシアの気候と大地は鉄道を必要不可欠としている。旅行者にとってそれは車輪の音を旅枕に、時に華美で壮麗な、時に温和で静かなロシアの自然を車窓から眺めることのできるまたとない機会と言えよう。

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