本田圭佑が蹴る!

=アレクサンダー・ヴィルフ/ロシア通信撮影

=アレクサンダー・ヴィルフ/ロシア通信撮影

約10年前、ロシアリーグはまだ、Jリーグよりも経済的に『格下』にすぎなかった。多くのロシア代表選手が高い年俸を求めて日本でのプレーを希望していたほどだ。 しかし、時代は変わった。ロシアの経済成長の後押しを受けて、ロシアリーグは豊かなリーグの一つに変貌。今夏にはブラジル代表FWとベルギー代表MFを計80億円で獲得して話題になった。 天然資源に支えられたロシアマネーは中東のオイルマネーとともにサッカー界を席巻している。そのロシアで本田圭佑は果敢に攻めのプレーを続けている。

本田は2010年1月にオランダのフェンローからロシアの名門CSKAに移籍した。本田がサポーターの心をつかむのに時間はかからなかった。チャンピオンズリーグで無回転FKを決めてサポーターを興奮・魅了させ、ヨーロッパ中に名を知らしめたからだ。

2010年ワールドカップ(W杯)で日本代表のエースとして活躍できたのは、ロシア移籍という冒険に挑戦したからこそだった。

ダバイ!仲間を激励

ロシア独特の文化の中でプレーするのは簡単ではないが、本田はすぐに適応した。

簡単なロシア語のフレーズを覚え、練習では「ダバイ!」(さあ行くぞ)と仲間を励まし、戦術的な込み入った話は英語の通訳を介して伝える。

セルビア代表のトシッチは「ものすごく参考になる」と日本人MFからのアドバイスに感謝している。

入念に肉体改造

体調管理の面でも、陸上競技を専門とする個人トレーナーを日本から呼び寄せ、毎日の練習に帯同させて肉体改造に取り組んでいる。CSKAで個人トレーナーがいるのは本田だけだ。食事面でも、妻のサポートがあるので全く問題ない。

露プレミアリーグ

  • ロシア・プレミアリーグは16のクラブチームにより2001年末に発足。下位2チームが1部リーグの上位2チームと入れ替わる。これまで29のチームが所属し、ディナモ、クルイリヤ・ソビエトフ、ロコモチフ、スパルタク、CSKAの5チームは一度も降格していない。
  • プレミアリーグのセルゲイ・プリャトキン会長(51)はソ連国家保安委員会(KGB)および連邦政府通信情報局の元職員で退役陸軍中佐。ロシア・サッカー連合(RFS)の副会長を務める。
  • ソ連崩壊後、旧ソ連構成共和国は独立したサッカー選手権を開催。1992年、20チームでロシアトップリーグ(現プレミアリーグ)が発足した。1994年に16チーム、1996~97年は試験的にチーム数が倍増されたが、1998年に再び16チーム構成となった。

    モスクワは渋滞がひどく、練習場まで車で30分の距離が2時間以上かかることもあり負担になっているが、そういうストレスを感じさせないのが本田のすごさだ。異国での適応力は称賛に値する。

    そろそろ潮時か

    ただし、本田の計画からすると、ロシア滞在は少し長くなりすぎているのかもしれない。「2010年W杯で結果を出して、すぐに上のクラブに移籍するつもりだった」からだ。

    ユーロ圏が不況に陥ったあおりを受けて、スペインやイタリアの移籍市場が沈静化。今年1月にはイタリアのラツィオから正式オファーが届いたが、CSKAが移籍金を値下げしなかったために、ラツィオは本田獲得を断念しなければならなかった。

    CSKAとの契約は2013年12月まで残っており、いつ移籍できるかは不透明だ。
    だが、本田は動じていない。

    「(長友)佑都がインテルに、(香川)真司がマンチェスター・ユナイテッドに移籍したからといって、焦ることはない。なぜなら、常に上を目指して焦っているから」

    「いつかはレアルで」

    むしろ日本代表のチームメートが世界的なビッグクラブでプレーするようになったことを、「W杯優勝という自分の目標を達成するために、環境が整ってきている」と感じているほどだ。

    「最後に自分がおいしいところを持っていきますよ」と、本田は不敵に笑う。

    今季、本田はCSKAの攻撃のリーダーとして、思う存分に持ち前のクリエーティビティーをピッチで発揮している。18節時点でCSKAはロシアリーグで首位に立っており、評価が急上昇中だ。

    子供の頃から本田は「いつかスペインのレアル・マドリードでプレーする」と宣言し続けてきた。その夢に向かって、本田は常に次なる一歩を踏み出している。