ピョートル・チャイコフスキー
初め、チャイコフスキーはこの曲を、作曲家でピアニストである友人のニコライ・ルビンシテイン(モスクワ音楽院院長)に献呈し、初演者になってもらおうと考えた。1874年のクリスマスに、ピアノ譜を見せたところ、案に相違して、演奏はむずかしいし「どうにも仕様がない作品だ」などと、散々に酷評されてしまった。
ハンス・フォン・ビューローが高く評価、初演
がっかりしたチャイコフスキーは、ドイツの指揮者でピアニストのハンス・フォン・ビューローに献呈し、意見を仰いだ。ビューローは、現代の指揮法を確立した大指揮者で、妻のコジマ(フランツ・リストの娘)をめぐるリヒャルト・ワーグナーとの三角関係でも有名だ。ビューローは、この曲を「独創的で高貴」と高く評価し、初演を引き受けた。
世界初演は、10月25日にアメリカのボストンで、ビューローのピアノとベンジャミン・ジョンソン・ラングの指揮により行われ、大好評を博した。11月22日のニューヨークでのコンサートの成功は、それをさらに上回るもので、数日後には、サンクトペテルブルクでロシア初演が行われた。
名演を引き出す名曲
12月3日には、作品の評価がうなぎ上りとなるなかで、モスクワ初演が、セルゲイ・タネエフ(作曲家アレクサンドル・タネエフの親類)のピアノ、ニコライ・ルビンシテインの指揮で行われた。ルビンシテインは、曲に対する自分の見方を改め、再三自分のコンサートでとりあげることになる。
以来、21世紀の今日まで、多くの大ピアニストがこの曲を手がけ、名演を残している。トスカニーニとホロヴィッツ、カラヤンとリヒテル、コンドラシンとアルゲリッチなどはとくに忘れがたい。
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