「50~80年代ソ連デザイン」展開催

=ダリア・ドニナ撮影

=ダリア・ドニナ撮影

モスクワ・デザイン博物館が新たにオープンした。最初の催しは、第二次世界大戦後のソ連の掃除機、カメラ、自動車、大量生産された製品、お蔵入りプロジェクトなどを紹介する企画展だ(2012年11月30日~2013年1月20日)。

ゴミ捨て場からも収集 

「モスクワ・デザイン博物館の記念すべき企画展第1回目を構想するにあたり、西側のデザインではなくロシアのものを展示すべきだとすぐに思いました。展示品となるものを探しながら、たくさんの発見をしました。私立博物館、国立博物館、収集家、相続者などから展示品を借りただけではなく、インターネットのサイトで購入したり、友人の家や別荘などで集めたり、さらにはゴミ集積所で発見したりしました。これらの製品はわれわれの子供時代、人生でもっとも幸せだった時の思い出です。製作者も見つけることができました。これは奇跡です」とモスクワ・デザイン博物館のアレクサンドラ・サニコワ館長は話した。

博物館では、ようやく名前が明らかになったソ連の芸術家にして設計者の革新的活動の成果として、古い掃除機、カメラ、アイロンなどを見学できるようになっている。

「芸術的設計方法導入」 

ソ連のデザインは計画経済に縛られ、西側と競争もしていなかったため、明確な刺激のないまま発展した。1950年代から1960年代の主な課題は、消費者の要求ではなく、工場の可能性にもとづいた消費財を生産することだった。それが1962年になるとすぐに、「芸術的設計方法導入による文化・日常品の質の向上のため」、全ロシア技術的美観研究所が設立された。

ソ連デザイン史のどの時代にも量産品と特注品という二元性があり、この企画展では数百万個も生産された製品のわきに、ユニークなサンプルが置かれたりしている。

「クラスナヤ・ローザ(赤いバラ)」工場の布で縫製された量産ドレスの隣には、オーダーメイドの衣装が並べられ、需要が高かった音楽プレーヤーの隣には、宇宙技術を採用したプロの高品質音響機器、紙で作られた音響機器の模型(生産されず)などがある。また、販売された製品と、プロジェクトの段階から先に進まなかった製品があり、後者のほうがずっと多い。見た目で何かよくわからない製品があるが、それでも生産されていたものと、構想で終わった実験品がある。

設計者とデザイナーを突き止める 

さて、肝心な作者不明という問題だが、数百万個も生産されていながら、ほとんどそのデザイナー兼設計者の名前が知られておらず、せいぜい設計局の名前が知られている程度だ。

デザイン博物館は入念な調査を行い、何とかして設計者を探しだすことができた。それらの人々の多くがインタビューに応じており、この企画展ではその動画が紹介される。十分競争力のあるカメラ「ゼニト」を開発した、クラスノゴルスク光学機械工場の設計者、ウラジーミル・リンゲ氏、1980年モスクワ五輪に向けて、絵文字システムを考案したグラフィック・デザイナー、ワレリー・アコポフ氏、ソ連時代に救急車などに使われたマイクロバスRAFの開発に参加し、また掃除機、照明器具などの日用品を設計した、ラトビアのリガ市のスヴェトラーナ・ミルゾヤン氏などのインタビューを見ることができる。

エコ・デザインとの接点 

「ソ連の技術デザイン原則は、現代の西側諸国のエコ・デザイン概念に非常に近いことがわかりました。それは外観のハーモニーや、自然素材の使用に限らず、梱包から再利用までのすべての段階が、事前に熟考されていることです。例えば、ソ連のケフィール(発酵乳)の瓶には、ラベルがありません(印刷や接着剤のコストがかからず、その後の手間もはぶける)。中身(ケフィールに限らず、牛乳やその他の発酵乳製品もまったく同じ容器で販売されていた)は、アルミ製のフタの色で識別されていました。そして、ガラスも金属も、すべてがリサイクルされていました。それでいて、瓶は美しくて調和が取れているのです」と、キュレーターのアリーョナ・ソコリニコワ氏は説明する。

企画展のそれぞれのコーナーに、流行、子供用ソ連デザイン、余暇と趣味など、個別のテーマが設定されている。

早くも海外で反響 

サニコワ館長によれば、デザイン博物館は開館したばかりにもかかわらず、この企画展はすでに外国からも興味を示されているという。同様のプロジェクトはいままでなかったということだ。モスクワで行われた後、「ロシア・オランダ交差年」の一環として、オランダのアイントホーフェン市でも開催されることが決定している。

元原稿