ドミートリー・ディヴィン
ボリス・ストルガツキー(1933年4月15日~2012年11月19日)とアルカジイ・ストルガツキー(1925年8月28日~1991年10月12日)は、ソ連およびロシアのSF作家で、現代科学的・社会的SFのクラシックとなった本を数十作、共同で書いた。アルカジイは日本研究家の通訳でもあり、極東国際軍事裁判の準備にも参加していた。
幸せな人類の夢
ストルガツキー兄弟は、マルクスやエンゲルスより、またはソルジェニーツィンやブロツキーよりもソ連人に影響を与えたと断言しよう。国の変化と時代を生き抜くソ連人像を創り出したのだ。兄弟から発せられるインパルスのパワーはいくら評価してもしきれない。電球が切れる時の最後の閃光のように、彼らの想像力は、「幸せな労働」という半ば忘れ去られていたテーゼを具現化した。兄弟は根源に目を据えていた。もっともその根は、未来から生えていたが。彼らの信仰は労働であり、それは、日常生活を天国に変え、半獣を半神に変えうるものだった。
ユートピアと反ユートピア
作品の主人公たちは、超能力を手に入れ、人間的な特徴を失いながら、作品から作品へと進化し続ける。そして、主人公たちは、現代人や未来人とはいかなる共通性もない、作者さえ驚かせてしまうような新しい生き物の「リュデン」になり、完全にホモ・サピエンスから抜けきってしまう。どんなユートピアでも、凝視しているうちに、反ユートピアに逆転するものだ。
優れた作品のひとつ、「そろそろ登れカタツムリ」は、まさにそれについて語っている。ただしSFを青少年の文学だと決め付ける文学的因習が、この中編小説を正真正銘のロシア文学の傑作だと認める障壁になっている。この本は、検閲でずたずたにされながらも、ソ連崩壊を無事乗り越えることができ、「永遠の書棚」でジョナサン・スウィフトや、ロシアのサルティコフ・シチェドリン、またホルヘ・ルイス・ボルヘスの本と並んだ。
「そろそろ登れカタツムリ」
「そろそろ登れカタツムリ」は、ジャンルの境界を哲学的風刺文学まで拡大し、今日と明日の間にある解決できない衝突の、深く明瞭に具象化した。兄弟は出版から25年後にこのように説明した。
「未来とは良いものでも悪いものでもない。それは、われわれが想像しているものとはぜんぜん違うのだ」。
もっとも、兄弟が亡くなった今となっては、兄弟の数々の本に記された未来というものを、待つというより思いだすことしかできなくなっているが。本の中には兄弟が望む未来の世界の生活があり、その世界を人類の「正午」と名づけた。
正午の人間は、賢く、健康で、陽気で、忙しい。難しく不可解だが、おもしろい仕事で忙しいのだ。ここでは諸民族が友好関係にあり、誰にでも太陽が高く上る場所が見つかる。未来の人間は、リスク、発見、西欧の騎士のような冒険、そして何よりも魅力的な仕事を求めて、地球上と、その付近の星を渡り歩く。
中編小説「逃走の試み」(Попытка к бегству)にはこのような会話がある。
「でもずっと働いていてはダメだ」。
「ダメだね」とワジムは残念そうに言った。「僕だったらできない。結局途方にくれ、気を紛らわさなければならなくなる」。
「月曜日は土曜日に始まる」
その後少しして、ストルガツキー兄弟はこの思想を簡潔な警句で表現した。すなわち、「月曜日は土曜日に始まる」。これは、中編小説の題名ともなった。これはソ連の「ハリー・ポッター」で、兄弟の最大のヒット作だ。
「月曜日は土曜日に始まる」で、この作品に描かれる魔法は、自由に手に入れられ、羨望の対象になるようなものだ。兄弟は、魔法を、いってみれば合理化し、官僚主義化した。この本の読者は、「ハリー・ポッター」のファンの誰もがホグワーツ魔法魔術学校で学ぶことを夢見るように、登場する魔法魔術研究所で働きたがった。
わたしはボリス・ストルガツキーに永遠の別れを告げながら、愛と優しさをこめてこの初めての楽観主義的な書籍について思いだしている。ストルガツキー兄弟は自由な仕事と、月曜日が土曜日に始まる自由な人々の真の賛歌であったのだ。
アレクサンドル・ゲニス
評論家、ジャーナリスト。ラジオ・リバティーで毎週放送されるラジオ番組「アメリカンアワー」の司会者。ロシアの独立系新聞「ノーヴァヤ・ガゼータ」のコラムニスト
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