どれだけ持ちこたえるか
両名はハンブルグの戦いを食い入るように見つめていたに違いないだろうが、次ぎは自分がワフの立場になるとは考えていなかっただろう。クリチコはこの試合まで7戦連続ノックアウトで勝利し、阻止する相手は現れなかった。
ワフはクリチコより体が大きいものの(これは身長2メートルのクリチコにとって初めてのケースだった)、技の弱さとぎこちない動きで、ワフには勝ち目がなかった。このタイトルマッチでは、クリチコのチャンピオン・ベルトは安泰で、興味は、「バイキング」がどれだけ持ちこたえられるかに集まっていた。
打たれ強かったバイキング
ワフはファイナルゴングまで粘り、第5ラウンドでクリチコに右ストレートを入れてリングのロープまで飛ばしたが、もう一発の正確なパンチを入れるには、技と時間(ラウンド終了までわずか10秒)が足りなかった。しかし、それ以外はクリチコが圧倒しており、一方的に打ちまくり、その大部分が狙いどおりにヒットした。
1979年9月2日生まれ。ヨーロッパ・チャンピオン2回、世界チャンピオン、オリンピック・チャンピオン各1回。プロの戦績は25戦全勝(17回はKO勝ち)。WBAレギュラー・チャンピオン。
ロシアのニコライ・ワルーエフの戦法をほうふつとさせるワフは、自力でリングを降り、賞金の60万ユーロを受け取った。壁に向かって殴りつづけるような試合であきらかにくたびれていたクリチコの賞金は、約500万ユーロだった。
兄ビタリーのベルトの行方は
世界ボクシング協会(WBA)の規定で、クリチコは、来年3月1日までにロシアのレギュラー・チャンピオンであるアレクサンドル・ポヴェトキンと対戦しなければならない。さもないと、チャンピオン・ベルトを失うことになる。
1986年2月14日生まれ。ジュニア・ボクシング世界チャンピオン2回、ユース・ボクシング世界チャンピオン1回。2004年にプロに転向。プロの戦績は31戦全勝(25回はKO勝ち)。
2番目の候補はデニス・ボイツォフだが、上背のないボイツォフがクリチコに勝つ見込みはほとんどなく、試合自体はあまりおもしろくなさそうだ。まだ一度も負けたことがないボイツォフは、世界ボクシング評議会(WBC)ランキングで3位に位置しているが、ここでチャンピオン・ベルトを持っているのは、ウラジミール・クリチコの兄であるヴィタリー・クリチコだ。
ウクライナ議会第3党を率いる兄ヴィタリー
兄のヴィタリーは、ウクライナの政党に登録し、戦いの場を国の政治のリングに移していて、近々引退発表を行う見通しのため、ボクシングどころではない。
ヴィタリーは、2010年に政党「改革を目指すウクライナ民主連合」を結成し、今秋のウクライナ最高会議選挙(国会)で、40議席を獲得し、議席獲得数で第3党に躍進している。同党は親欧路線を掲げ、汚職撲滅などを訴えて、大きな支持を得た。
そうなると、ヴィタリーのWBCのタイトルは“空位”になってしまう。弟のウラジミール・クリチコが兄のベルトを獲得できるわずかな可能性でもあれば、それを利用し、クリチコ家に全タイトルを集めようとするのは確実だ。