サンボ これぞ格闘技

ユーリイ・イェフシュコフ撮影/ロシア通信

ユーリイ・イェフシュコフ撮影/ロシア通信

サンボは柔道を始めとするさまざまな格闘技を融合させたロシアで最もポピュラーなスポーツ格闘技である。国際サンボ連盟(FIAS)のワシーリー・シェスターク会長は「ロシアのサンボ人口は41万人を超えており、これほど多くの人がサンボにいそしんでいる国はない。柔道の生みの親の日本人と同様、サンボの生みの親である私たちも首位を長く保っていきたい」と語る。サンボがオリンピック種目に採用されていないのは不思議なくらいだ。

 サンボは1938年に誕生したとされるが、その創始者を一人挙げるのは難しい。

 一般には、サンボの最初の指南書となった『格闘技サンボ』の著者、アナトーリー・ハルラムピーエフが創始者とみなされているが、ビクトル・スピリドノフをコマンド(コンバット)サンボ、ビクトル・オシチェプコフをスポーツサンボの生みの親とする見方もある。

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 帝国軍の二等大尉で露日戦争と第一次世界大戦を経験したスピリドノフは1920年代に融合的なシステムの創造に起点を置き、こう記している。「自己防御術はあらゆる手段を用いて勝利を収める一助となり、それが勝利をもたらすならば他のシステムからもあらゆる有益なものを借用すべきである」。

 長いこと内務人民委員部で勤務したスピリドノフは、軍・治安関係省庁の勤務員にとっての実用性を重要視し、部外者は対象とせず、もっぱら当該省庁のためのスポーツ競技としてのシステムを普及させた。

 それを基に誕生したコマンドサンボも最近まで万人向けのものではなかった。

 彼はソ連の諸民族の自己防御術や柔術の良さを利用し、フリースタイルおよびグレコローマンスタイル・レスリングの禁じ手を含む技を借用し、イギリス式およびフランス式ボクシングの打撃や当時の犯罪社会が編み出したものなど独特な技も取り入れた。

 例えば、サンボのホールドにはグルジア、オセチア、カザフなどの民族格闘技からの借用が感じられる、柔道にはなかった帯をつかむ技には、帯を用いたロシアやタタールの格闘技の影響が見てとれる。 オシチェプコフは1911年から14年にかけ、講道館で嘉納治五郎の教えを受けて柔道二段を得た。彼は数種類の中国拳法のほか、イギリス式ボクシングや拳と足による打撃が許されるフランス式ボクシング(サバット)にも通じていた。

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 サンボの創始者たちはこの格闘技の実用性を高め、一つの技が失敗したら次の技に瞬時に移れる方法を考え出した。

 サンボのもう一つの特色は技そのものではなく「原則」を重視する点である。例えば柔道では足への関節技は禁止されているが、サンボではれっきとした技である。

 サンボは1950年代から国民的スポーツ格闘技としてソ連で盛んになった。1972年から国際競技会が催されるようになり、1981年には国際オリンピック委員会(IOC)によってオリンピック種目と認められたものの、未だに採用されていない。

 プーチン大統領は「ロシアの格闘技の起源はサンボにある。そろそろサンボがオリンピック種目になってもいい頃かと思う」と述べている。。