最後のビザンチン皇帝の姪ゾイがイワン3世と結婚

ゾイ・パレオロギナ、頭蓋骨を元に復元された容貌=セルゲイ・ニキチン撮影

ゾイ・パレオロギナ、頭蓋骨を元に復元された容貌=セルゲイ・ニキチン撮影

1472年の今日、11月11日に、東ローマ帝国の末裔であるゾイ・パレオロギナ(?~1503)が、モスクワ公国のイワン3世と、生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)で結婚式を挙げた。彼女は、最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪に当たる。

外れた教皇の読み 

ゾイは、帝国滅亡後、ローマに亡命していたのだが、東西教会の再統一をもくろむローマ教皇パウルス2世から、この結婚をすすめられた。

しかし、イワン3世(1440~1505)は、モンゴル・タタール人によるロシア支配に終止符を打ち、対外的にも領土を拡張して、中央集権化を推し進めた人物。そんな彼にとって、この結婚は、教皇の意に反して、ロシアの権威を高めるのに役立った。

第三のローマへ 

ソフィアとロシア名に改めたゾエは、ビザンチン(東ローマ帝国)の儀式、イタリア文化をもちこんだほか、モスクワ公国が東ローマ帝国の継承者を自称する根拠ももたらした。

ビザンチンの国章「双頭の鷲」はロシアに受け継がれ、イワン3世は、初めてツァーリを自称した。

一説によれば、ソフィアは結婚早々、タタール人への貢納を止め、断固対決するよう説得したという。

こうした背景があって、モスクワ府主教のゾシマやプスコフの修道士フィロフェイなどが、「モスクワは第三のローマである」という「第三のローマ」論を打ち出していくことになる。

ソフィアは政治に積極的に介入し、イワン3世の後継をめぐっては、自分が生んだワシーリーを押し、先妻の子イワンの遺児ドミトリーを排除した。