ロシア初の泥酔者留置場をトゥーラ市に設置

「恥ずかしい!散々飲んで、悪態をついて、若木を叩き折った・・・面目ない。」ソ連のポスター。

「恥ずかしい!散々飲んで、悪態をついて、若木を叩き折った・・・面目ない。」ソ連のポスター。

1902年の今日、11月7日、兵器産業の中心地であるトゥーラ市に、ロシア初の泥酔者留置場、要するにトラ箱が、医師フョードル・セルゲーエヴィチ・アルハンゲリスキー(1855~1928)の提唱で、開設された。

泥酔者留置場の目的は次のように定められていた。「警察またはその他の者が、トゥーラ市の路上で発見した泥酔者に対して、無料で宿泊場所を提供し、医療その他の手当てをほどこす」

泥酔者留置場の開所式で、アルハンゲリスキー医師は、アルコール中毒は「国民の身体を蝕み、国民を窮乏させ、堕落させる」として、対策の必要を訴えた。

留置場は、診療室と、アル中の子供の宿泊所とからなっており、看護師と御者が常駐していた。御者が市内を回って、酔漢を集めてくるわけだ。

まもなく全国に展開 

それから数年を経ずして、ほとんどすべての県都に同様の施設が作られ、1913年には、アルハンゲリスキーは、その功績に対して、首都サンクトペテルブルクで開かれた衛生博覧会で、金メダルと銀メダルを授与された。

ちなみに、アルハンゲリスキーは、文豪レフ・トルストイの子供たちのかかりつけの医師でもあった。トルストイは、医学には懐疑的だったが、医師を呼ばねばならないときは、アルハンゲリスキーに頼むのが常だった。

カエルの面に水 

ソ連時代最初の泥酔者留置場は、1931年11月14日に、レニングラード(現サンクトペテルブルク)のマラト通りに開かれた。ソ連型トラ箱は、シャワー付きの部屋で、いきなり冷水を浴びせてしらふに戻すというのがお決まりのパターンで、ブレジネフの「停滞の時代」や、ゴルバチョフの禁酒法時代には大いに利用された。しかし、現在では、次第に閉鎖されつつある。