ツァーリ・ボンバ(爆弾の王様)の核実験=Getty Images撮影
広島型原爆の3300倍
ツァーリ・ボンバの威力は57メガトンで、いまだに人類史上最大の兵器となっている。TNT換算で、広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」の3300倍、第二次世界大戦で使われた総爆薬量の10倍に相当する。核爆発は、1000キロメートル離れた場所でも確認され、衝撃波は地球を3周した。
開発時のコードネームはイワンで、「ツァーリ・ボンバ」の名称は、クレムリンのツァーリ・コロコル(鐘の王様)、ツァーリ・プーシュカ(大砲の王様)にちなんで西側でつけたもの。
火に油を注ぐ
ツァーリ・ボンバが炸裂したのは、冷戦が熱い戦争に転化しかねない時期だった。直前の1961年8月には、ベルリンの壁が建設されはじめ、世界は、翌年1962年10月のキューバ危機に向かって、緊張の度合いを高めていた。
ツァーリ・ボンバは、実戦配備されることはなかったが、ソ連の核兵器製造能力を見せつけ、大きな政治的、軍事的意義をもった。
三段階の核反応で巨大な威力
ツァーリ・ボンバは、核分裂―核融合―核分裂という三段階の反応により、100メガトンの威力を実現する多段階水爆だったが、ソ連領内の広範囲に被害がおよぶことを懸念したソ連当局は、威力を半分に抑えることにした。
ソ連最高指導者のニキータ・フルシチョフは、「初めは100メガトンの予定だったが、モスクワのガラスがぜんぶ割れないように、出力を減らした」とジョークを飛ばした。
設計はソ連の秘密都市アルザマス16で、ユーリー・ハリトンを中心に、アンドレイ・サハロフ、ヴィクトル・アダムスキーなどが加わった。「ソ連水爆の父」と呼ばれたサハロフは、後に核兵器反対を唱え、反体制運動家となる。
致死的な熱線は半径58キロ
ツァーリ・ボンバは、特別に改造されたTu-95戦略爆撃機によって運搬されたが、巨大すぎて機内に収納できず、半分機外にはみだしていた。ツァーリ・ボンバは重量27トン、全長8メートル、直径2メートルという大きさだった。
午前11時32分、ツァーリ・ボンバは、ノヴァヤ・ゼムリャ上空の10500メートルの高度から、パラシュートをつけて投下された。高度4000メートルに達した時点で爆発。致命的な火傷を負う熱線の範囲は、半径58キロメートルに及んだとみられる。米国の観測によれば、キノコ雲は64キロメートルの高さに達した。
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