オビ川の「命の教会船」

聖職者と医師が命の教会船で村々を救う =PhotoXPress撮影

聖職者と医師が命の教会船で村々を救う =PhotoXPress撮影

オビ川で「教会船」を走らせようと考えたのは、聖アレクサンドル・ネフスキー大聖堂のアレクサンドル・ノヴォパシン神父だ。この船が最初に宣教航行に出たのは1996年で、医療が受けられない僻地にとって、命の船となっている。

「ノボシビルスク州は道路の状態が悪く、1990年代の内陸航行もそうでした。そこで、小さな船を用船し、聖職者グループとともに船出しました。最初の航行はとても長く、夜中の1時にようやく埠頭に到着しました。そして、河岸の村すべてをまわったんです。朝までに村の子供たちすべてを洗礼しました。その時、聖職者以外にも村に医師が必要だということがわかったんです。それで最初の医師団も集めました」。

 

 村の生活の崩壊

今日この宣教団には11名の医師がおり、そのうちの多くが毎年航行している。医師がこの仕事に対する追加的な報酬を受け取ることはなく、普通の給与に出張費がつくだけだ。

これは簡単な仕事ではない。4人用の船室で、7時起床、全体祈祷、朝食、村まで数時間の道のりと続く。目指す村がオビ川から100キロという遠距離に位置していることもある。医師1人あたり1日60~70名もの患者を診察しなければならない。

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「最初の頃は、村人の精神的な落ち込みに驚いていました。当時都市部では人々が職を失っていましたが、村ではすべてが崩壊している状態でした。土地や農場の建物また機械は放置状態でした。ある村では、人々が電気のない暮らしをしていて、子供たちは栄養失調で倒れていました。恐ろしいことです。その中でも、人々が宗教的な生活に関心を持っていることに気づいたのです」と、最初から船に乗って活動を組織しているコンスタンチン神父は想起する。

 

 神を実感する医師たち

目的地に着くと、宣教師らは学校、文化会館、現地の病院などを回る。こういった施設が一切ない場所では、通りで活動し、受け入れを行う。当初は1回の活動で2000名ほどを洗礼し、その後数は減少したが、4年前からは農村部の出生率が死亡率を上回るようになり、子供が増え始めたことから、再び洗礼を必要とする人数が増えた。今年はすでに718名を洗礼している。

なぜ医師が毎年この宣教団に加わるのかという疑問について、当の医師自身がはっきりと説明できない。すでに15年連続でこの宣教団に参加している、ノボシビルスク州立病院の医師、オリガ・フィショワさんは、こう述べる。

「自分の仕事を分析できる本物の医師なら、神の存在を信じない人はいないでしょう。すべてが医師の考え通りにはいかないことを理解しているからです。宣教団に参加した後、救急蘇生医とこれについて話したのですが、自分たちもそれを実感しているという答えでした」。

 “都市病” 

「村に住む人々は、金銭的な問題があったり、子供を預ける先がなかったり、病気であることを認めたがらなかったりと、街の大きな病院の診察に行くよう説得するのが困難な場合が多々あります。そのため、このような教会船が必要なのです。今回だけでも8名の心筋梗塞、また糖尿病、甲状腺病理、腫瘍を見つけました。ただ、最初の頃に村で遭遇したように、病気がそのまま放置されているということは今ではなくなりました。そのかわり、こんな状況があります。

都市部から遠く離れるほど、人の優しさは増し、都市部に近くなるほど、要求が厳しくなるのです。ここ3~4年、あなたがたはこうすべきだ、あれがあなたがたの義務だ、なぜ最後の患者まで待たずに6時に終えるんだ、などとよく言われます。若者は、この宣教団の活動でいくらもらえるかというようなことを計算し始めます。これは無償で行っているんです。普段の給料と1日100ルーブル(約250円)の出張費用しかもらっていません」。

 

 「ロシアには船でしか行けない場所がたくさんある」 

「われわれの教会船を真似た医療列車が出ています。それはロシア全土をまわっています。ただ、教会船の経験は活用していません。ロシアにはまだ、鉄道が敷設されておらず、河川を利用してしか行くことができない場所がたくさんありますから、この先やることは山ほどあります」。

 

 現代の伝説

教会船の医師が、ある高齢の女性患者に処方箋を書いた際、患者からこんな質問があった。

「街から来たんですか」。

「そうですよ。街にアパートがあるので」と医師。

「てっきりずっと船で暮らしてるんだと思いましたよ」。

コンスタンチン神父はこう言う。「オビ川を医者と司祭が乗った船が航行しながら、助けを必要としている人々のいる船着場を回っていく―。そう言われると、たしかに、伝説かなんかのようですね」。