世界初の砕氷船「エルマーク」の進水式

1898年の今日、10月29日、世界初の砕氷船「エルマーク」の進水式が行われた。

砕氷船「エルマーク」。ソ連の切手、1976年 

1897年12月、海軍軍人で海洋学者のステパン・マカロフ提督(1849~1904)の提唱で、ロシアは、世界初となる砕氷船の建造を、イギリスのニューカッスル市に所在していたアームストロング社に発注した。

ロシアは、欧州とアジアを短距離で結ぶ北極海航路の開発に熱心であった。

砕氷船建造は、シベリア商人の支持も得て、エルマークと命名された。エルマーク(?~1585)は、ヴォルガ川で活動していたコサックの首領で、ストロガノフ家の援助とイワン雷帝のお墨付きを得て、シビル・ハン国を攻撃し、シベリア征服のきっかけをつくった人物。

2メートルの厚さの氷を砕く 

砕氷船エルマーク(船長93m、12,000PS)は、傾斜した船首をもち、船体の重みで、2メートルまでの厚さの氷を砕いて航行できるように設計されていた。船体は、浸水を防ぐため8つの障壁で9ブロックに区切られていた。

1898年10月29日に進水式が行われ、その後、いくつかの実験を経て、1899年3月5日に初航海に出た。

就航後の活躍 

エルマークは早くも同1899年に、レーヴェリ(現エストニアの首都タリン)付近で、氷に閉じ込められていた汽船を救助し、同年夏には、マカロフ提督の指揮で、北極を目指し、北緯81度 28分の地点に到達するなど、大活躍した。この航海では、気象学、水文学上の調査が行われ、氷の映像が撮影されている。

1901年には、スピッツベルゲン島とノヴァヤ・ゼムリャ島への航海もなしとげている。

1974年からは、2代目の砕氷船エルマークが就航している。

海軍戦術論の大家としてのマカロフ提督 

マカロフ提督は、ロシア海軍屈指の名将と言われ、海軍戦術論の大家としても世界的に知られており、その著書『海軍戦術論』は世界各国で翻訳され、東郷平八郎や秋山真之も熟読したという。

1904年、マカロフ提督は、日露戦争中に、旅順口で、乗艦していた戦艦ペトロパヴロフスクが日本軍が敷設した機雷に触れ、戦死した。