リングに上がる聖職者たち

ヒョードル・エメリヤーエンコとシリヴェストル掌院    写真提供:ロシア正教会ヤロスラフ主教区スパソ・ヤコヴレフスキー・ドミトリエフ男子修道院

ヒョードル・エメリヤーエンコとシリヴェストル掌院 写真提供:ロシア正教会ヤロスラフ主教区スパソ・ヤコヴレフスキー・ドミトリエフ男子修道院

畳の上での関節技やリングのアッパーカットは、伝統的なキリスト教的価値観にそぐわないが、ロシアの正教聖職者の間ではここ数年、スポーツ格闘技が急激に広まっている。これに対する聖職者の意見はさまざまで、「罪源」という人もいれば、はなむけの言葉を贈る人もいる。

スポーツは心の糧 

 ヤロスラヴリ州の聖アンドレイ・ストラチラト殉教者教会の主任司祭、シリヴェストル(俗名ルカシェンコ)掌院は、先のロンドン五輪でロシア選手団の心の指導者となっていた。

 初めてこの役目を務めたのは、北京で開催された世界武道・格闘技大会だ。テコンドーの黒帯(5段)保有者で、ロシア格闘技連盟地域支所の副所長でもあるシリヴェストル掌院は、プロのスポーツや、特に格闘技をやることは、信仰の基本に矛盾していないと考えている。

 「どのスポーツ種目でも、人間の内面を正しく鍛えますし、現在では、ロシアの若者を有害な誘惑から守るための、主要な手段のひとつになっています。プロのアスリートの成功は、社会のスポーツ参加を刺激します。総主教も同じ意見をお持ちだと思います。さもなければ、ロンドン五輪への参加は許可されなかったでしょう」。

 

社会復帰にも役立つ 

 トロエクロフの奇蹟者聖ニコライ教会の主任司祭である、アレクサンドル(ネムチェンコ)神父も、シリヴェストル掌院と同じ意見だ。毎日の信仰の他に、スポーツも継続的に行っている。1980年代末、アレクサンドル司祭はフリースタイル・レスリングのスポーツ・マスターだった。

 「ジムとヨガ、また時々スパーリングなどをやっています。聖職者になった後は、格闘技をやることは、自分の情念との絶えざる戦いでもあります」。

 2000年からこの教会では、元受刑者社会復帰・麻薬中毒者支援センターが運営されている。センターには常に50人ほどいるが、社会復帰の手段のひとつがスポーツであるとアレクサンドル神父は考える。

 「信仰と格闘技の両立に関する問題は、私にとって無意味です。私のフリースタイル・レスリングの最初のコーチだったワレリー・クラサヴィンさんは、よくここに来て、センターの教え子たちと一緒にトレーニングをしています。肉体的な変貌が精神的な変化につながることを目の当たりにしています」。

 

祝福されたボクサー 

 聖職者の間でプロの格闘家になっている人は現在1人だけだ。それは、在トヴェリ州バルィキンの聖生神女イコン教会の、セルギイ(アキモフ)神父だ。

 セルギイ神父は5月に、モスクワで開催されたボクシングの夜の試合に参加し、初めてプロのリングに上がった。ただ、これが最初で最後のプロとしての戦いになる可能性がある。

 「なんだかんだ言ってももう34歳ですから。アマチュア・ボクシングでそれなりに成功し、スポーツ・マスターの称号を得ることができましたが、正直なところ、プロになったのはお金のためです。うちの教会区は収入が少ないので」。

 9月にセルギイ神父は児童ボクシング部を教会区に開設した。信仰に関係なく、あらゆる子供を受け入れている。「これらの活動すべてが、支持されているんです。そうでなければボクシングは続けていなかったでしょう。ルジェフスキー・トロペツキー・アドリアン主教とお話をしました。主教は、精神力の発展を助けるとおっしゃいました」。

 

優越をつけてはならない 

 別の意見もある。格闘技システム「聖ロシアの勇士」の創設者で管理者であるフェオクチスト(ペトロフ)修道司祭は、プロのスポーツを「罪源」と呼ぶ。

 「格闘技を学ぶ目的は、信仰と正教祖国を守るためだけです。これは神聖で神意にかなった活動です。スポーツ、ましてやプロ・スポーツなどとは関連性を持たせたくありません。競争で強い者が現れると、その人間にプライドが現れ、無慈悲になります。これは問題です。ですから、われわれの格闘技システムでは、あらゆる競争が制限されています。高尚な目標のために力を使うことは罪ではありませんが、娯楽のために力を使うことは罪です」。

 フェオクチスト修道司祭は、一流スポーツは人間の心を害すると考えている。

 「若者がすべてのエネルギーをスポーツに費やしてしまうと、普通の生活に戻った時に何もできなくなります。空っぽになるのです。スポーツには、愛や献身を教えることのできる道徳的な基礎がありません」。