ロシア炭鉱事情

コメルサント紙撮影

コメルサント紙撮影

ソ連時代最も給与水準の高かった炭坑夫は、連邦崩壊後の90年代はデモにあけくれていた。今では、彼らはまずまずの高給取りで、業界全体も上向き、石炭採掘量と輸出は増している。

写真提供:コメルサント紙

政治犯が建設 

総消費エネルギ内の石炭の割合

クッリクすると拡大します。

北極圏内に位置するコミ共和国のヴォロクタ市周辺は、強制労働収容所と同義語になってしまうほどの伝説的な場所だ。20世紀初めに、北極圏最大の石炭鉱山、ペチョラ炭田が開設された。1930年代から50年代に最初の炭坑夫として働き、ヴォロクタを創設したとも言えるのが、政治犯だった。記念墓地の十字架が、強制労働収容所をほうふつとさせる。

町や村はツンドラの中のオアシスだった。

「ソ連時代、ここの炭坑夫は2000ルーブルほど稼いでいたよ(当時ラーダ車1台4000ルーブル)。ソチにビールを飲みに飛行機で往復することができたぐらいさ(ヴォロクタとソチの間の距離は3000キロ)」と地元の人は話す。

ソ連崩壊後に炭坑分野は著しく低迷したが、現在はソ連時代ほどではないものの、ヴォロクタでは炭坑夫が安定的に1500ユーロから2000ユーロ=約15万円から20万円ほど受け取っており、生活は保障されている。

採炭場まで地底を往復2時間 

炭坑施設からシフト勤務を終えた炭坑夫が出てくる。炭坑にはタバコの携帯が禁止されているため、男たちは入口でタバコをふかす。中に入るには、入構証を機械に通すだけでなく、アルコール検知器に息を吹き込まなければならず、この吹き込みは出る時にも再度要求される。

安全装置の使い方の説明を受けた後、防寒下着、ズボン、防寒ベストを着用し、その上にジャンパーを着て、1キロ以上ある重いライト用バッテリーのぶらさがったベルトをきつく締め、ライトはヘルメットに固定し、肩には3キロほどの重さの金属ボックス「自己救命器」をかける。炭坑で煙が発生した場合、この救命器具で数時間は呼吸が確保されるのだ。

500メートルほど内部に下がっていくと、ワゴン付きの小さな電気機関車の駅があり、そこで機関車に乗る。まるでジェットコースターに乗っているかのごとく、ひどい轟音や揺れがあるが、それを9キロ、約40分間もがまんしなければならない。「終着駅」に到着したら、今度は懸垂式モノレールのディーゼル車に乗り換えて、さらに2キロほど進む。6時間シフトに、さらにこの移動時間2時間がプラスされるのだ。

坑道の総延長250キロ 

現代の炭坑は、炭層が300メートルほど離れた2本の平行に伸びた「ひ押し坑道」でわけられていて、坑道の天井や壁が金属製のアンカーや網で強化されている。その先の「ひ押し坑道」の間には、炭層にもうひとつの炭層と同じ高さの坑道があるが、ここが採掘の先頭、長壁切羽になっている。

炭鉱では、3採掘シフト、1修理シフトで24時間作業が続けられる。産業採掘は、回転するスクリュー・コンベア・ヘッドが2つついた大型のコンバインで行われる。コンバインはカンナのように、石炭を長壁切羽から削りながらコンベヤでそれを採取する。従来型の運搬ワゴンは、すでにずっと前になくなっている。「カンナ」は300メートルを1時間かけて進み、6時間の1シフトで約3000トンを採掘する。

周囲はまるで「ロード・オブ・ザ・リング」の「モリアの坑道」のようで、通過トンネルだけでも長さ184キロ、連結部も加えると250キロある。地上の管理者は、地下にいるひとりひとりの炭坑夫の位置を、ライトのラジオセンサーで確認でき、またライトに特別な音響信号を送って、ひ押し坑道に設置されている最寄りの電話まで呼び出すことができる。

生産性は最近10年間で3倍に 

新しい技術の導入で、炭坑夫の労働生産性をここ10年で約3倍にまで高めた。ヴォロクタ・ウゴリ社の2011年度取引高は、351億6000万ルーブル=約891億5000万円で、うち純利益は120億ルーブル=約300億円だった。ヴォロクタの石炭の80%が、高炉燃料用コークスに使用できる高額ブランドだ。ヴォロクタの南東1800キロに位置し、原価価値がずっと低いクズネツク炭田では、主に発電所やボイラー施設で使用される安いエネルギー石炭が採掘されている。

ガスが豊富にあるロシアでは、一次燃料資源の需要に占める石炭の割合が、諸外国(アメリカ22.1%、中国70%、日本24.6%)と比べてかなり低い15.8%だ。この条件下で石炭分野を衰退させずに、逆に採掘量を増やしているのは理にかなっている。ロシアの石炭埋蔵量は、現在の採掘成長率で計算すると500年分はある。石炭埋蔵量が他に多い国はアメリカのみだ。

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