愛を彩るシャガール

今年はマルク・シャガール生誕125周年にあたり、世界中で記念行事が行われている。この天才画家の豊かな想像力は変わることなく、ロシア内外で大きな関心を呼んでいる。9月にモスクワのトレチャコフ美術館で線描画を紹介する展覧会が催されたが、今度は初期のビテプスク時代のスケッチから後期のパリ時代のコラージュに至るまでの素描、水彩画、グアッシュ画が展示される。また、日本各地で生誕125周年記念シャガール展2012が11月まで開催されている。

写真提供:ロシア通信/タス通信

マルク・シャガール(1887〜1985年)はビテプスク(ロシア帝国、現在のベラルーシ)のユダヤ人家庭に生まれた。 父親は荷役労働者で、母親は小さな商店を営んでいた。9人きょうだいの長男で、12歳の時に私立の『画家ペンの絵画素描学校』へ入学する。

木造の家屋、ユダヤの慣習や祭礼。そうした平凡で困難な生活は少年の心に刻まれた。

シャガール=Getty Images撮影

シャガール展の第1章「故郷ロシア」は、画家の創作において絶えず反すうされる故郷ビーテプスクの形象に捧げられている。

1944年、彼はこう記している。「わが愛しき町よ、なんと久しく私はおまえのことを見ず、聞かず、おまえの雲と語らず、おまえの塀にもたれないでいることか。悲しき永遠の巡礼のように私はおまえの息づかいを一枚の画布から別の画布へ運び移し、ずっと私はおまえに心を向け、おまえを夢に見てきた」。

1909年の夏にビテプスクで、地元の宝石商の娘ベラ・ローゼンフェルトと出逢った。

「彼女は黙す、私もまた。彼女は見つめ、おお、その瞳、私もまた。まるでずっと以前から知り合いで、彼女は私のことを何でも知っているかのよう。するとぴんときました。この人は私の妻になると」。後に自伝『わが生涯』にこう記した。

二人は1915年に結婚した。この幸せな結婚は、画家にとって男女の絆のシンボルとなった。

展覧会の第2章「結婚―幸福な日々」は正にこの時期に捧げられている。『散歩』(1917〜18)を始めとする多くの作品に妻が描かれている。

シャガールの考えでは、愛は世界の断絶を克服し、芸術と同様に日常を超える力を有している。

1920年、彼はモスクワの国立ユダヤ室内劇場の主任美術家となり、劇場のために7つのパネル画を制作し天井や幕を装飾した。

『ユダヤ劇場への誘い』(1920)では太陽や月や惑星を象徴する長方形、円形、円筒形によって幾何学的背景が構成されており、永遠なる生命のスペクタクルの舞台としての宇宙を表現している。

人々や動物の姿は支点を失ってあたかも宙を舞うかのようであり、ここでも地球の重力を克服するというシャガールの中心的モチーフがうかがえる。

戦争およびドイツによるフランス占領の時代はニューヨークで過ごした。戦前のドイツではシャガールの絵画がナチスの「退廃芸術」展に出品されていただけに、彼は間一髪で逃げおおせたのだった。

1944年、ベラが逝去した。彼は悲しみに打ちひしがれ、9カ月を経てようやく絵筆を握れるようになった。 「私にとっては愛だけが意味を持ち、愛を巡るものとのみ関わっています」と語っている。

彼は、私たちの人生には人生と芸術に意味を与える彩りだけがあると信じていた。もちろん、それは愛の彩りである。