ナデジダ・パブロワとニコライ・ツィスカリーゼ
現在、日本では、バレエは最も人気のある舞台芸術のひとつだが、100年ほど前には、バレエの存在は日本では、事実上、気づかれないほどだった。1927年に、ちょうど現在の鎌倉市内の土地に、ナデジダとエレーナ(日本ではエリアナと呼ばれた)のパブロワ姉妹によって、日本最初のバレエ学校が開校した。後にこのバレエ学校で、日本バレエの先達になる東勇作、橘秋子のような著名な踊り手が学んだ。
姉妹で日本最初のバレエ学校を主宰
最初にこのバレエ学校を主宰したのは、ナデジダの姉、エレーナで、日本では霧島エリ子という名の方がよく知られている(エレーナ・パブロワは1937年に日本に帰化し、正式に改名した)。
エレーナが早世したあと、母親ナターリアと妹ナデジダが、このバレエ学校を引き継いだ。しかしナデジダは、1923年の関東大震災のとき、足に負った重傷のため、バレエ教師としての活動を十分に行うことはできなかった。だが門下生や友人らの援助により、このバレエ学校は1962年秋まで、さらに20年近く存続した。
1996年に鎌倉・パブロワ記念館が開設され、その入口の正面に「日本バレエ発祥の地」のメモリアル・プレートが飾られていることをお伝えしておこう。
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