チャイコフスキーの12ヶ月

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~1893) =タス通信撮影

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~1893) =タス通信撮影

ピアノ曲集「四季」

ピアノ曲集「四季」は、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~1893)の音楽日記で、日常生活のできごとや出会いの場面、自然の風景を見て感じた大切なことが、音で表現されている。

このチャイコフスキーの代表的傑作は、叙情、人生への愛や感動に満ちていて、19世紀にロシアのお屋敷でどのような生活が営まれていたかを知ることのできる、百科事典でもある。果てしなく続くロシアの大地、田舎の日常、サンクトペテルブルクの街の景色、当時のロシアの家庭の音楽などが、チャイコフスキーの五感を通して伝えられる。

 1月「炉端にて」

イーゴリ・グラーバリ(1871~1960)「冬の陽気」(1941)

ロシア語でカメリョークと呼ばれる炉端は、ロシア特有の暖炉やかまどだ。長い冬の夜、炉端に家族全員が集まって暖を取った。百姓小屋では、哀しい歌や情緒的な歌をうたいながら、レースを編み、糸を紡ぎ、織物を織っていた。

「これは、夜ひとり部屋に座り、仕事に疲れ、本を手にとっても滑り落ちてしまう時に感じる、沈んだ気持ちだ。いろいろなことがあったのに、すべてが過ぎ去ってしまったことが悲しく、若かったころを思い出すとなつかしい。休息をとりながら辺りを見回すことが楽しい。(中略)過ぎた日々に戻っていくのは悲しくもあればどこか甘美でもある」とチャイコフスキーは記している。

四季 (チャイコフスキー) 1月 by ロシアNOW

 2月「謝肉祭」

ボリス・クストディエフ(1878~1927) 「マースレニツァの火曜日」(1916)

ロシア語でマースレンニッツァと呼ばれる謝肉祭は、陽気な集い、遊び、乗馬、ブリヌィ(クレープ)作りなどで時を過ごす、四旬節前のお祭りだ。このお祭りでは、異教的に冬と別れ、春を迎え、四旬節前の正教の儀式を行う。四旬とは40日を意味し、キリストの復活を祝うもっとも重要な祝い日である復活祭の40日前(日曜日は計算に入れない)から、復活祭までの期間を、四旬節と呼ぶ。

謝肉祭は、次から次へと華やかな模様が現れる万華鏡のごとく、お祭りのテーマを大切にしながら変化していく美しい集いなのだ。

四季 (チャイコフスキー) 2 by ロシアNOW

 3月「ひばりの歌」

イサーク・レヴィタン(1860~1900) 「3月」(1895)

ひばりは野鳥で、その鳴き声は春の訪れを伝え、冬眠していた自然すべてを目覚めさせ、新しい生活の始まりを知らせる、とロシアでは昔から考えられている。

3月の曲の魅力は、夢見がちな哀しさ、明るさなど、さまざまな気分が入り混じっているところだ。また、いくつかの要素は、ひばりの春の鳴き声のトリル音に似ている。

四季 (チャイコフスキー) 3 by ロシアNOW

 4月「松雪草」

イワン・ポヒトノフ(1850~1923) 「春の日」(1910)

 

雪解けの後すぐに、松雪草の小さな水色や白の花がその感動的な姿を見せる。松雪草は、ロシアで新たな生活のシンボルとしてあがめられ、とても愛されていて、多くのロシアの詩人が、この花に関する詩を書いた。「松雪草」の曲には、春の自然を観察する時に感じる不安、心の奥底に隠れている喜び、未来への希望、秘めた期待感などが込められている。

四季 (チャイコフスキー) 4 by ロシアNOW

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 5月「白夜」

アレクサンドル・オスミョルキン(1892~1953)「レニングラード・ モイカ」(1927)

 

ロシアの古都であるサンクトペテルブルクの白夜には、ロマンティックな夜の散歩や歌がつきものだ。ロシアの芸術家のキャンバスや、詩人の詩に、白夜の光景が描写される。フョードル・ドストエフスキーの作品には、「白夜」という中編小説もある。

サンクトペテルブルクはチャイコフスキーゆかりの街で、ここで青年時代を過ごし、作曲家になり、認められて成功した喜びをかみしめ、人生の終着点を迎え、埋葬された。

四季 (チャイコフスキー) 5 by ロシアNOW

 6月「舟歌」

フョードル・アレクセエフ(1753~1824)「ペトロパブロフスク要塞から見た宮殿河岸通り」(1794)

原題はイタリア語の「バルカローラ」で、バルカとは舟を意味し、バルカローラとは、イタリアの民族音楽の舟歌全般のことだ。バルカローラは特にベニスで広まり、そのリズムや伴奏は、はじける楽しさに合った舟の動きを表現していた。バルカローラは19世紀前半のロシア音楽に、広く浸透した。チャイコフスキーの四季の中では、サンクトペテルブルクの水路や大小さまざまな川と、そのわきに広がる北の古都の街並みが音色で表わされ、別の音楽的風景が描かれている。

四季 (チャイコフスキー) 6 by ロシアNOW

 7月「刈り入れの歌」

ウラジーミル・オルロフスキー(1842~1914)「刈り手」(1878)

原題はロシア語で「ペースニ・コサーリャ(刈り手の歌)」で、この刈り手とは早朝に草を刈る男のことだ。手とカマが一定のリズムで動くさまは、作業中にうたわれる歌のリズムとぴったり合っていた。この歌は、古代ルーシからずっと存在し、みんなが歌をうたいながら、仲良く陽気に草を刈っていた。民の間では多くの歌が生まれた。チャイコフスキーはこの田舎の夏を愛し、ひとつの歌の中で次のように表現した。「何でこうなるのだろう。なぜ、何気ないロシアの風景をながめたり、夏のロシアの田舎の草原、森、夜にはステップを散策したりすることによって、自然への愛が込みあげてきて、ヘトヘトになって、大地に横になってしまうほどの状態に私は追い込まれるのだろう」。

四季 (チャイコフスキー) 7月 by ロシアNOW

 8月「収穫の歌」

グリゴリー・ミャソエドフ(1834~1911)「農繁期」(1887)

ロシアの百姓の生活では、収穫期がもっとも重要な時期だ。草原で夜明けから夕暮れまで家族と作業をしながら、歌をたくさんうたう。この収穫の歌は、百姓の生活の最高のシーンなのだ。

四季 (チャイコフスキー) 8 by ロシアNOW

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 9月「狩りの歌」

ワシリー・ペロフ(1833~1882)「岸辺の狩人」(1871)

狩りは、19世紀のロシアの日常生活の特徴だ。ロシア文学の本の多くのページには、狩りの描写が見られる。ロシアでは、狩りは常に強くて情熱的な人々の仕事とされ、狩人は、狩猟用角笛をぶら下げ、狩猟犬を引き連れて、とてもにぎやかに、陽気に狩りを行っていた。19世紀の貴族の領地で行われていた狩りは、参加者が男らしさ、力強さ、機敏さ、情熱、興奮を見せなければならない娯楽となっていた。

四季 (チャイコフスキー) 9 by ロシアNOW

 10月「秋の歌」

イサーク・レヴィタン(1860~1900)「秋」(1895)

秋の歌は、この曲集の中でも特別な位置づけとなっている。その悲しげな音調で、四季の色濃い中心となり、またロシアの生活やロシアの自然の命についての物語の要約になっている。10月の秋の歌は、枯死の歌で、哀しいメロディーだ。

「毎日遠くまで散歩をし、森の中で居心地の良い場所を探し、散りゆく葉の香りが混ざった秋の空気、静けさ、秋の色が広がる風景の美しさを存分に堪能するのだ」とチャイコフスキーは書いている。

四季 (チャイコフスキー) 2 by ロシアNOW

 11月「トロイカで」

コンスタンチン・コロヴィン(1861~1939)「ロシア 祭りの散策」(1930)

ロシアでは、一本のくびきでつながれた3頭の馬のことを、トロイカと呼ぶ。ここには、白銀の音色を鳴り響かせる鈴がつけられる。ロシアではトロイカで疾走することが好まれ、それについての多くの民謡が生まれた。広大な大地に続く道とトロイカは、長く続く人生のシンボルである。「氷点下の寒さの中でも、太陽はわずかながらに温めてくれる。木々が真っ白なヴェールをかぶったこの冬の景色は、 筆舌に尽くしがたい美しさだ」とチャイコフスキーは記した。

四季 (チャイコフスキー) 11 by ロシアNOW

 12月「クリスマス週」

コンスタンチン・マコフスキー(1839~1939)「クリスマスの占い」(1900)

ロシア語でスヴャートキと呼ばれるこの期間は、聖誕祭から主顕節までを表わしている。この時期、家庭はお祭りらしい陽気さに満ちていて、若者は家々をまわり、歌をうたい、輪になって踊り、家ではごちそうがふるまわれ、家族がプレゼントを贈り合った。最終章となるクリスマス週は、チャイコフスキーがワルツと題した。この曲の主なメロディーは、日常音楽のスタイルを保ち、この歌と曲集は、平和なワルツと美しいクリスマスツリーのまわりにくりひろげられる家庭のお祭りで終わる。

四季 (チャイコフスキー) 12 by ロシアNOW

*サイト「チャイコフスキー」の記事の抄訳