イワン4世(雷帝)がロシア初の常備軍を創設した日

写真提供:ウィキペディア

写真提供:ウィキペディア

イワン4世(1530~1584)は、親政開始後、1549年ころからアダシェフなど有能な顧問に補佐されて、一連の改革を行った。軍制改革と常備軍の創設もそのひとつだ。

16世紀ヨーロッパで、絶対君主制が発展し、列強の力関係が激変するなか、イワン4世も、貴族層の権力抑制と自らの専制を目指した。もっともこれは、とくに治世後半には、粛清と恐怖政治という弊害も生んだが。

銃兵隊 

軍隊も改革の対象となり、ロシア初の常備軍である銃兵隊(ストレリツイ)が設けられた。

これは、当時しばしばロシア領に侵入していたタタールなど外敵に備えたもので、ツァーリ直属の近衛軍だ。

初めは、農民など平民から徴集されていたが、時とともに世襲的な軍人階級となり、政治的な影響力をもつようになる。

兵力は、当初は、500名からなる連隊が6つだったが、次第に増員され、雷帝が死去する16世紀末には、2万~2万5千人に達していた。

銃兵隊は、1552年のカザン攻略、リヴォニア戦争などで軍の主力部隊であったほか、治安維持と国境警備の役割も果たし、首都モスクワをはじめ、各都市に配置された。

指揮系統は、基本的に身分にもとづいていたが、1556年には、すべての地主貴族に兵役義務が課せられ、戦時の費用負担も、所有地の規模に応じるものとした。その結果、大貴族の負担は大きくなった。