レフ・トルストイとソフィア夫人、1910年 |
「今日は何の日」の9月9日のところで、トルストイ(1828~1910)の誕生日を取り上げた際にも書いたことだが、トルストイという人は、かなり女性関係がややこしい人だった。
彼は、どちらかというと、繊細優雅な貴族の令嬢には興味がなく、チェチェン、ダゲスタン人とか、ジプシーとか、農民などのパワフルでグラマラスな女性が好きだった。“アマゾネス・コンプレクス”とでも言うか。
ソフィア・ベルス(1844~1919)と結婚したときも、自分の農奴の妻であるアクシーニャ・バズイキナと数年間深い仲だったのだ。
農婦の愛人に未練
トルストイの中編小説『悪魔』は、この農婦の愛人との関係をかなりあけすけに書いたものだ(そのせいで、ついに生前には発表しなかった)。その惚れ込みようは、彼の日記からも、半端でなかったのがわかる。
「1858年4月13日。アクシーニャとつかの間のあいびき。とてもきれいだ。ここ数日むなしく待っていた。今日、大きな古い森のなかで。息子の嫁と密通するのと同じじゃないか。おれはばかだ。畜生だ。首筋の赤い日焼け。ギムブトのところで(*森番―佐藤)。こんなに人を好きになったことはない。ほかのことはなにも考えられぬ。苦しい。明日も、なにがなんでも」(*太字は、原文イタリック―佐藤)。
ふたりの間には、チモフェイという子供までできた。
八方ふさがりの不倫の恋
しかし、トルストイがいくら惚れ込んでもアクシーニャと結婚するわけにはいかなかった。ロシア正教会は原則的に離婚を許さなかったし、かりにアクシーニャが夫と別れて、トルストイと結婚しても、こういう身分ちがいの結婚は、一種の反社会的行為であり、トルストイは貴族社会から排斥されることになる。彼の実兄のセルゲイはジプシー女性と結婚し、それがために、生涯いわば村八分に遭うことになった。
このように、アクシーニャとの不倫の恋は八方ふさがりの重苦しいものだったが、このころのトルストイは、文学、教育活動などあらゆる点で行き詰まっており、袋小路に陥っていた。
美少女ソフィアに活路を求めるが…
ソフィア夫人との結婚は、敢えていえば妥協の産物で、こういう状況からの脱出もしくは逃避の面をもっていたと思われる。その結果、ふたりの夫婦生活は、そもそもの初めからきしみがあった。結婚式当日のトルストイの日記からもそれがうかがえる。
「1862年9月24日。結婚当日に恐怖、不信、逃げだしたい気持ち。<中略>。夜、重苦しい夢。彼女ではなかった」。
新婚初夜からアクシーニャの夢などをみているらしい。問題は、ソフィアがトルストイにとって「完全な女性」ではなかったことだ。もちろん、賢いソフィアはたちまちそのことを感じとる。トルストイはまずいことに日記まで読まれてしまった。
「私は、いつか嫉妬のために自殺するような気がする。『こんなに人を好きになったことはない』(*トルストイの日記の引用―佐藤)。ただの百姓女じゃないの。でぶで、色の白い―ひどいわ。私は、魅入られるように、ナイフ、銃をながめた。一撃でおしまい―かんたんだ」(ソフィア夫人の日記。1862年12月16日)。
半世紀後の嫉妬
しばらく時がたっても、ソフィア夫人の動揺は去らない。
「私は、ここモスクワにいても、あの女のことを考えると苦しい。夫の過去が私を苦しめるのであって、これは本当の嫉妬ではない。夫は、身と心を完全に私にゆだねることができないのだ―私はすっかり彼にささげているのに」(ソフィア夫人の日記。63年1月14日)。
もちろん、夫婦の間には、幸福な調和した時期もあった。「家庭の幸福」もあったし、芸術創造においてふたりが協力し結びついていた時期もあった。しかし、「夫は、身と心を完全に私にゆだねることができない」…。その原因が消えることはなかった。
トルストイの家出と死まで2年たらずという1909年になって、ソフィアは初めて、中編『悪魔』の存在を知った。トルストイは夫人の気持ちを慮り、隠していたのだ。彼女は、一読すると、強度のヒステリーに陥った。夫人のトラウマの深さがわかる。
「百姓女の強靭な肢体と日焼けした素足を舌なめずりしている。これこそ、むかし夫があんなに惹きつけられたものだ。輝かしい眼をしたあのアクシーニャが、ほとんど無意識のうちに、八十才の今になって、むかしの記憶と感覚の深みからふたたび立ちのぼってきたのだ。<中略>。こうしたことすべてが、私にはショックで、どうにもやり切れない」(ソフィア夫人の日記。1909年1月14日)。
誤りか運命か
ソフィア夫人は、こういう問題をかかえながら、9男4女を産み育て、献身的に夫の創作活動も助け、草稿の清書までした。
彼の草稿を浄書するのがどんなことか、これはトルストイの専門家ならだれでも身にしみて知っている。彼は、36歳のとき右腕を骨折してから地震計さながらの乱筆になり、しかも句読点も打たずに書き飛ばすので、ロシア人の専門家でも、判読は容易なことではない。この清書のせいで、ソフィア夫人は晩年は片目を失明していた。
夫妻の半世紀におよぶ生活を見渡すと、はたしてふたりが結婚したのはよかったのか、という疑問がどうしてもわいてくる。運命といえばそれまでだが…。しかし、もうこの辺でソフィア悪妻説は見直されていいだろう。
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