=エレナ・ポチェトヴァ撮影
修復作業でボロジノ通い
カルレン・ハチャトリャンさん(17) :コサックのコルパコフの子孫
僕の先祖2人、アンドレイ・コルパコフと息子のピョートルは1812年の英雄です。彼らはウラル・コサックで、1814年にはそろってパリに入城したのです。
僕はヨーロッパの多くの国を訪れましたが、フランスにはまだ行く機会がありません。もっとも、ボロジノでは、僕の足は一応フランスの地を踏みましたけど。というのは、そこにはフランスの記念碑があって、その周りの地面はフランスの所有なんです。ボロジノには10歳の頃から行っていて、修復作業に参加しています。
フランス国籍の年金生活
アンドレイ・ムーシン=プーシキンさん(69):イワン・ムーシン=プーシキン少将の子孫
エルミタージュ美術館には祖国戦争の英雄たちのギャラリーがあるんですが、そこには私の先祖の肖像画がなくて、くやしい思いをしています。だって、祖国戦争には全部で11人のムーシン=プーシキンが参加しているわけですから、わが先祖はそれなりの貢献をしていると思うんですけどね。
以前私は米国の大手科学企業の営業部長を務めていましたが、今は年金生活者です。国籍はフランスです。以前、フランス人は、俺たちはロシア人に負けたんじゃない、冬将軍にやられたんだ、と言うのが常でした。
ソ連で役所勤め44年
キーラ・ヒトロボー=クロムスカヤさん(85):クトゥーゾフ元帥の子孫
クトゥーゾフ元帥の子供のうち成人したのは娘たちだけでしたので、苗字はクトゥーゾフではありません。周知の通り、彼は野心家でしたが、彼が良き父だったことを知る人は少ない。家庭の「戦線」では、彼は決して攻勢に出ませんでした。娘のアンナが(私の直系の先祖ですが)「音楽サロンを主宰したい」と言い出した時には、父は賛成し、助けてやりました。
独ソ戦の時期には、私はモスクワから疎開させられ、傷痍軍人の収容施設にやられました。戦後は、ソ連貿易人民委員部(省)に勤め、貿易関係の仕事に44年間従事しました。
肖像画ないのが悔しい
アンナ・ミロラドビッチさん(47):ミロラドビッチ将軍の子孫
私は現在、カナダに住んでいますが、私の先祖はミロラドビッチ将軍です。ボロジノの会戦では第1軍の右翼を指揮し、フランス軍に大打撃を与えたビャージマの戦い(11月3日)ではロシア軍を指揮しました。そして、フランス軍を追撃し、パリに入城した軍功に対して伯爵の位を授けられました。
しかし、1825年にペテルブルク総督だった彼はデカブリストの乱の際、元老院広場でカホフスキーに射殺されたのです。多分そのせいで、モスクワの「ポクロンナヤの丘」のギャラリーにも、ボロジノにも彼の肖像画はないのでしょう。ソ連は崩壊したのに、未だに彼の肖像画はないんですよ。
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