ナポレオンに勝利

=PressPhoto撮影

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ロシアは今年、ナポレオンのロシア遠征(祖国戦争)から200周年を迎え、この歴史的大勝利を盛大に祝っている。この勝利はロシアが世界の大国として羽ばたいていく上で少なからぬ 役割を果たした。既に3年前から祖国戦争200周年祝賀準備国家委員会が設けられ、メドベージェフ大統領(当時)が委員長となった。様々な祝賀行事のために1億ドル(約80億円)が支出されている。この秋、モスクワを訪れれば、多彩な観光プログラムに参加できる。

第一次世界大戦にいたるまで、祖国戦争とそれに続く1813~14年の「諸国民の戦い」は、人類史上最大の戦役だった。

この時期、多くの国と民族の運命が戦場で決せられた。ロシアはナポレオンの欧州制覇、そして世界制覇の野望の途上に立ちはだかる最後の障害だった。ロシアを衛星国にしてしまえば、もはや英国も恐れるに足りず、アレキサンダー大王のように、アジア征服をもくろむことも可能だった。

 50コペイカ 

フランス軍の撤退後、戦場に野ざらしになっていた戦死者を埋葬するため農民が雇われた。その日給は50コペイカだった。これは軍の下級将校の給与に相当する。それと、ウオッカ2チャルカ(約246ミリ)が提供された。当時の物価と比べると、首都サンクトペテルブルクの並みのアパートは1ルーブル強、ウオッカ1ベドロー(=123リットル)は15コペイカだった。

こうした事件の重要さから、今回の200周年記念祝賀行事の規模と内容が自ずと決まった。

「ボロジノ」を再現

祝賀行事は数か月間続き、そのなかでも要となったのは、ボロジノの会戦の再現だ。

モスクワ西方100㌔のところに位置するボロジノ村周辺の平原で、200年前の9月7日、露仏両軍が激突し、凄惨きわまる大会戦が行われた。兵力は、様々な資料を総合すると、露軍16万(義勇兵を含む)対仏軍14~15万。双方共に、数万の死傷者を出したが、勝敗は判然としないまま終わった。

今年8月初め、3000人以上が当時の露仏の軍服をまとって、壮大な再現バトルを演じた。ナポレオンの本営も復元され、「ボロジノの会戦」ミュージアムが、新たな展示物を加えて、展示会を開いた。

クレムリンも舞台に

モスクワのクレムリン博物館も、祝賀行事に大いに貢献している。

 1日

ボロジノの会戦は1日で終わった(朝5時頃から夕方まで)。1日の戦闘としては死傷者数が極めて大きい。 

そもそも、クレムリンは、この戦争の主要な舞台でもあった。1812年9月14日に、クトゥーゾフ率いるロシア軍がモスクワを放棄した後、翌15日にナポレオンはクレムリンに入城する。彼は、自らの和平提案にアレクサンドル1世が応えるのを空しく待ちながら、冬支度もせずにここに10月18日までとどまり、墓穴を掘っていく。

フランス軍の壊滅後、アレクサンドル1世の決定で、クレムリンには戦利品の仏軍の大砲とボロジノで使われた露軍の大砲とが置かれることになった。

今年、モスクワのクレムリン博物館は特別な観光コースを用意しており、これらの大砲も目の当たりにすることができる。

 6万人

ロシアに侵攻したナポレオン軍約60万人のうち、生き残ったのは約6万人に過ぎなかった。

クレムリン内の「大聖堂広場」では、7月に最もスペクタクルな行事の一つが行われた。コサックの騎兵隊がモスクワからパリまでの行軍を行ったのだ。祖国戦争を戦ったコサックの子孫たちが、当時と同種の馬に乗り、ロシア、ベラルーシ、ドイツ、フランスを駆け抜けた。 締めくくりは12月  祝賀行事が終わるのは12月だ。フランス軍を祖国の地から駆逐したとのツァーリの布告が出てからちょうど200年の12月25日、救世主大聖堂で勝利を記念するミサが行われる。同日夜、ボリショイ劇場で、祖国戦争200周年祝賀行事が締めくくられる。  

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