Getty Images/Fotobank撮影
朝6時、ロシア南部ベルゴロド州の小さな町スタールイ・オスコル(人口21万1000人)にある、錆び付いてうす汚いかつての鉄道の駅には、人通りがなく、まるで忘れ去られたかのようだ。
しかし、ヒョードル・エメリヤーエンコにとってはそんなことはない。彼はこれまでの生涯を通して、1日の始めにここで5マイルを走ることを日課にしてきた。
「ここが好きなんです」とエメリヤーエンコは言う。「家族や友人がいるし、自分が通っているジムもあります。住む場所を変える理由がありません」。
錆び付いたジムで古典的なトレーニング
エメリヤーエンコは2012年6月をもって現役から引退すると発表したが、彼は依然として世界中で有名だ。人気の高いブラジルMMAポータルが9月3日に実施した調査によれば、サイト訪問者の73%が彼のことを史上最高のMMA選手であると回答している。
ちなみに、ヒョードルが引退前の最後の試合を行ったのも、ブラジルだった。彼は、ブラジル人ヘビー級選手のペドロ・ヒーゾに1ラウンドでKO勝ちした。
エメリヤーエンコは、より優れた設備のジムや、より快適なアパートなどに興味がない。縫い目だらけのパンチバッグや一昔前のウェートがある錆び付いた彼のジムでは、彼は幸せで、居心地がよさそうに見える。エメリヤーエンコは、自身が10年以上も前に確立した単純ながら効果的なトレーニングになじみを感じている。
彼のトレーニングプログラムの基礎となっているのは、なんといっても努力だ。プログラムにはランニング、腕立て伏せなどが組み込まれているが、その中でも最も目を引くのは、古いトラックを大ハンマーで叩くというものだ。では、エメリヤーエンコはどのような点で他のアスリートと異なるのか? それは、彼は誰よりも長く厳しいトレーニングを行うという点だ。
生い立ち
エメリヤーエンコの家族は、彼が1976年にウクライナのルビージュネで生まれたその2年後に、スタールイ・オスコルに引っ越してきた。専門学校を1994年に優秀な成績で卒業すると、ロシア陸軍に入隊し、そこで鍛錬と日々の作業になじんだ。サンボ国際トーナメント・チャンピオンに輝き、全ロシア柔道選手権の優勝歴も多数持つ彼は、2010年に、MMAに活躍の場を変えた。
エメリヤーエンコは、優れた攻撃能力、サブミッション(極め技)、防御能力を兼ね備えた万能選手である傍ら、「グラウンド・アンド・パウンド」と呼ばれ、相手を地面に激しく叩きつけるテクニックでも高く評価されている。
彼の主な戦闘テクニックは、ロシアの格闘技であるサンボと日本の柔道である。どちらの格闘技もMMAでは人気がない。それは、ほとんどの選手がブラジリアン柔術やムエタイ(タイの格闘技)の訓練を積むためだ。
「私は普通の男です」
ヒョードルのトレードマークは、彼のカリスマだ。リングに入場する彼は、僧侶のように落ち着いて見える。何の感情も見せず、まっすぐにリングに向かって歩くだけだ。
エメリヤーエンコは堅い信仰心を持つことでも有名だ。自宅にいるときの彼は、チェスをしたり子供と一緒に時間を過ごしたりと、世界で最も恐れられている人物のイメージとはかけ離れている。
彼は、故郷であるスタールイ・オスコル、そしてロシア全般に対して強い絆を感じている。「私は自国を代表してこの国に栄光をもたらしたいとずっと望んできました」とエメリヤーエンコは言う。
近年やや衰えが見え始めるまで実質的に無敗で、27連勝もしているエメリヤーエンコは、総合格闘技史上で最高の選手とみなされている。たゆまぬ努力、映画「ロッキー」のようなトレーニングスタイルなどにより、純朴な普通の男であったエメリヤーエンコは世界的なスターへと変貌を遂げたが、その過程で彼が自分を見失うことはなかった。
「私は伝説的人物として記憶されたくはありません。単なる普通の男として覚えていてほしいのです」。
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