=freephoto撮影
同市はこれまで約300回も深刻な水害に見舞われており、被害は晩秋に集中している。最初の洪水では、わずか数時間で水位が2メートル上昇している。
洪水が起きそうになると、警報として、空砲を撃ったり、海軍省で太鼓を打ったり、寺院で鐘を鳴らしたりしたほか、尖塔に昼は赤旗、夜は灯火を掲げた。
1897年には、「物理学天文台」に「ネバ川洪水予報局」が設けられた。
棺桶が通りを流れる…
次第に研究も進み、学者たちは、洪水が低気圧と関係していることを突き止めた。低気圧で生じる風が、バルト海の水をフィンランド湾の「咽喉元」に逆流させ、初めは小波を立て、それが岸部に向かい、浅瀬に来ると、急に大波になる。そして、ネバ川の水位は急上昇し、街はお決まりの水害に見舞われる――。
最も被害が大きかったのは、1777年、1824年、1924年で、詩人アレクサンドル・プーシキンの叙事詩『青銅の騎士』は、まさに1824年の洪水を背景としている。市街を濁流が洗い、棺おけなどまで流れているさまを生々しく描いている。
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