セミパラチンスク核実験場=A.ソロモノフ撮影/ロシア通信
セミパラチンスクは、ノヴァヤゼムリャとならんでソ連の主な核実験場で、面積は18500平方キロあり、ほぼ日本の四国に匹敵する。
ここに核実験場が造られたのは、1947年8月21日のことだ。最初の核実験からちょうど40年後に、カザフスタンのナザルバエフ大統領の大統領令により閉鎖された。
ソ連の核開発とともに
1949年8月29日朝7時、セミパラチンスクでソ連最初の原子爆弾が爆発した。実験を指揮したのは核物理学者のイーゴリ・クルチャトフで、住民への避難勧告はなされなかった。
1953年8月12日には、水爆装置実験(核融合は失敗)、1955年11月22日には、水爆実験が行われている。
健康被害
1949年から1989年までの40年間に少なくとも468回の核実験が、大気圏内、地上、地下で実施され、その爆発力の合計は、広島型原爆の2500倍に達する。
核実験閉鎖後、1995年に最後の爆発装置が解体、2000年には実験に使われた最後の坑道が爆破された。
しかし、閉鎖後も周辺には放射能の高汚染地帯が残り、様々なガンの発症率が高いなど、健康被害が続いている。
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