=ロイター/ボストーク撮影
その後、クラブの名前は、CDKA (1928~1951)、CDSA(1951~1957)、CSK MO (1957~1960)と変わったが、この時期にはすでにグリゴリー・フェドートフ、フセボロド・ボブロフ、ワレンチン・ニコラエフなどの伝説的な名選手を生み、フェドートフは、ロシア史上初めて、ソ連選手権および国際試合での100得点を達成している。
ソ連時代の栄光
クラブの名称が現在のCSKAになったのは1960年で、新時代の開幕を飾ったのが、チャンピオンズリーグでの「バルセロナ」に対するセンセーショナルな勝利だ(3-2)。
1967年には、CSKAが来日し、日本代表と初めて戦った。1試合目は2-2で引き分け、2試合目は0-2で日本代表が敗れている。
しかし、ソ連リーグで7回の優勝を誇った名門は、連邦崩壊後、低迷する。
2000年代、第2の黄金期へ
UEFAカップを制する
2000年代に入ってから、石油会社シブネフチ、国営銀行VTB(ロシア対外貿易銀行)がスポンサーについたこともあり、CSKAは再び黄金期を迎える。
2002年にロシア・カップを制すると、2005年、2006年、2008年、2009年、2011年に優勝し、カップ独占が続いているほか、2004年―2005年のシーズンには、リスボンで開催されたUEFAヨーロッパリーグで、地元の「スポルティング」を3-1で破り優勝した。
2009年12月からは、日本代表の本田 圭佑選手がCSKAの一員となり活躍している。
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