独ソ戦の分水嶺「クルスクの戦い」

クルスクの戦い

クルスクの戦い

1943年当時、東部戦線は、クルスクを中心に、ソ連側に突出部が生じていた。ドイツ軍は、ここに局地的な攻勢をかけて、東部戦線を安定させようとした。これは西側連合国の大陸反攻に備える上でも重要だった。

ドイツ軍は疲弊、消耗していたが、1942年下旬に、ティーガーI重戦車、パンターなど新兵器を配備され、この作戦に向けて、東部戦線の戦車と航空機の7割近くを動員した。参加した兵力は90万人、戦車と自走砲2700両、航空機1800機にのぼった。

赤軍はスパイ網で独の作戦を察知 

しかし、赤軍は、スパイ網によってドイツ軍の作戦を察知し、クルスク周辺に大規模な対戦車陣地を構築のうえ、相手を上回る戦力を集中し、待ち構えていた。兵員133万人、戦車と自走砲3300両、航空機2650機の大兵力で、しかも、後方にそれを上回る予備兵力を待機させた。

戦闘は、とくに7月11~12日にプロホロフカで起きた「史上最大の戦車戦」をはじめとして激戦が続き、双方ともに大きな損害を出したが(具体的な数字はソ連とドイツの資料で異なる)、ドイツ軍は赤軍の防衛線を突破できず、作戦目標を達することはできなかった。

ターニングポイント 

同時期、東部戦線北部で赤軍が逆攻勢「クトゥーゾフ作戦」を開始し、また米英軍もシチリア島に上陸した。

クルスクから撤退を始めたドイツ軍に対し、赤軍は兵力をまとめて反攻に転じた。8月23日にはハリコフが解放され、クルスクの戦いは終わった。

以後、独ソ戦の主導権は完全に赤軍に移り、ドイツ軍が攻勢に出ることはなくなった。