ここで名画誕生

旧邸博物館『ペナートィ(ペナテス)』の玄関にはこんな板が掛っている。「ご自分で! 外套とオーバーシューズをお脱ぎください!」。そして、呼鈴の代わりに銅鑼があり、訪問客は大きなゴングを打ち鳴らして自身の来訪を告げる。客は給士と一緒に同じテーブルを囲み、菜食主義の食事をとった。座ったまますべての料理に手を伸ばせるように中央部が回転する円い食卓はレーピン自ら考案したものである  =ロシア通信撮影

旧邸博物館『ペナートィ(ペナテス)』の玄関にはこんな板が掛っている。「ご自分で! 外套とオーバーシューズをお脱ぎください!」。そして、呼鈴の代わりに銅鑼があり、訪問客は大きなゴングを打ち鳴らして自身の来訪を告げる。客は給士と一緒に同じテーブルを囲み、菜食主義の食事をとった。座ったまますべての料理に手を伸ばせるように中央部が回転する円い食卓はレーピン自ら考案したものである =ロシア通信撮影

芸術の世界にどっぷりつかり、その来し方に想いをはせることのできる、すばらしい場所がある。イリヤ・レーピン博物館は、敷地内に造られたその美しい庭園にしばし身を置くためにだけでも訪れる価値がある。

サンクトペテルブルクの北方40キロにあるレーピノ村では彫刻模様の施された旧邸の白い門が訪問客を迎えてくれる。

音声ガイドの説明に耳を傾けながら、家庭の守り神とみなされていたローマ神話の神々に因んで「ペナートィ(ペナテス)」と名づけられた農家をそぞろ歩く。

数々の傑作残す

この旧邸は、百年前にレーピンが2人目の妻の名義で購入した。

当時はまだフィンランド領で、クオッカラとフィンランド名で呼ばれていた。1940年にこの一帯はソ連領となり、画家に因んでレーピノと改称された。

ここでレーピンは数多くの傑作を残した。今日、旧邸博物館では素描、絵画をはじめ画家の仕事と創造的探究の跡を物語る遺品が展示されている。

サーベル、グースリ(ロシアの竪琴)、コサックのマントは、名画『トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサックたち』や『黒海の逃亡農奴』の制作にも役立った。

後者の作品では、露日戦争敗北後の重苦しい雰囲気をとらえ、コサックたちが端艇で沖へ漕ぎだし、嵐に立ち向かう姿を描いた。

著名な芸術家が集う

レーピンと、夫人で作家のナターリヤ・ノルドマンが暮らした家は、作家マクシム・ゴーリキイ、革命詩人ウラジーミル・マヤコフスキーら芸術的潮流の旗手たちが集う場でもあった。

死後、画家は庭園に埋葬され、遺言によって『ペナートィ』はサンクトペテルブルク美術アカデミーへ移管された。戦争中に旧邸は破壊されたが、修復後の62年に再び開館した。

この1914年の写真は、画家イリヤ・レーピンがバス歌手フョードル・シャリアピンの肖像画を描いているところだ。歌手は、ゆったりしたソファに寝そべってポーズをとり、左手で、愛犬のブルドックの子犬「ブーリカ」を撫でている

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