沿海地方南部は自然の楽園

=アンドレイ・セレブリャコフ撮影

=アンドレイ・セレブリャコフ撮影

ウラジオストクから中国国境に向かうA189号線を進むと、多くの島や海水浴場、絵のように美しい湾、絶壁などの自然の美が目の前に開けてくる。

ガモフ半島地区は、沿海地方南部に位置し、一見の価値がある。半島の先端は、ガモフ岬と呼ばれていて、東に日本、南に朝鮮半島、西にロシア最南端の島であるフルゲリム島のパノラマがのぞめる。岬には、帝政時代に建てられた、築100年以上になるロシア最南の灯台、第1灯台がある。

「巨人の土地」 

周辺は複雑な海底起伏をなし、海岸ぎりぎりまで海深が20~40メートルなど、独自の特徴があり、心地良い波を立てる透明な日本海には、豊富な水中生物が生息している。海や自然を愛する人々にとって、ここは楽園だ。ロシアや世界のさまざまな海に生息する水中生物を比較しても、沿海地方の豊富さは群を抜いている。日本海を潜水した外国人は、この地域を「ランド・オブ・ジャイアンツ(巨人の土地)」と呼ぶ。

沈没船とトーチカ 

沈没船を探すのが好きな人にとっても、ここは魅力的な場所だ。異なる深さの海底に、さまざまな状況で沈没した船が眠っている。沈没船には歴史やユニークな特徴があるため、ロマンを感じることは自然だし、時にはその鉄のかたまりが、生物の王国になっていたりするのだ。

沿海地方の海岸のほぼ全体に張りめぐらされた要塞の一部が、この半島の観光名所のひとつとなっている。ピョートル大帝湾湾岸の要塞の建設は、ウラジオストクが創設された時から、1950年代半ばまで続いた。ずっと昔に機能が失われ、コンクリート製の永久防塁(トーチカ)は放置されたままだが、空の砲門は昔と同じように、湾を見つめている。

 ヴィチャジ湾 

沿海地方には、さまざまな注目すべき出来事が起こった湾や湾岸があり、ヴィチャジ湾もそこに含まれる。

湾は波や悪天候から守られ、西風が乾燥した空気を運び、晴天にする。湾には、舗装されていない道路が1本続いている。わだちが残る道路は、時々雨でぬかるみ、不慣れな自動車のドライバーを不安にさせる。ここからは、ガモフ岬の灯台、テリャコフスキー湾、アスタフィエフ湾、シュリツ岬などへ続く土の道がいくつかある。

ヤンコフスキー家の屋敷跡 

ヴィチャジ湾の歴史的観光名所のひとつは、ヤン・ミハイロヴィッチ・ヤンコフスキーと、その息子で活動家のミハイル・ヤンコフスキーの屋敷の廃墟である。


大きな地図で見る

ヤンコフスキー一家は、1870年から1922年にかけて、沿海州の発展に大きく寄与したが、赤軍が迫ってくると、ロシアを去らなければならなくなった。

ヤンは、ガモフ岬に、鹿を飼育する協同組合を設立し成功していたが、トゥマンナヤ山の跡地とヤンの屋敷だけがむなしく残る。ヤンの親戚によると、この時代、中国人が沿海州南部にしばしば攻め入ってきたため、屋敷は十字軍時代の城を彷彿とさせるものだったという。1922年以降は、郵便局や店などに変わり、現在は壁しか残っていない。

軍事と科学の拠点 

この湾は、軍事的、科学的拠点として役に立ってきた。1940年代から1950年代には、ディーゼル潜水艦の基地となり、180mmの砲身が2本ずつある砲塔2基のガモフ砲台も設置された。1970年代から1980年代には、ここに科学の波が押し寄せ、ロシア科学アカデミー極東支部の研究所がたくさん建設された。水辺には、研究所機能のある、フィンランド製の浅瀬対応型木製アザラシ捕獲用スクーナーが5隻残っている。1980年代、再びここが軍事拠点となった。水域は、参謀本部情報総局の極秘プロジェクトに使用されていた。敵の潜水艦、水雷、水中工作員を「無害化」するためのイルカやアザラシの調教だ。1998年、このプロジェクトは終了した。

ハイカーにも人気 

今日、ヴィチャジ湾は、ダイバーのみならず、ハイカーにも人気がある。湾にはタランツェフ岬で終わる左岸と右岸があり、散歩も楽しめる。潜水艦の基地だった時代、岬には対潜水艦網が築かれていたため、水辺には沈んだブイ、対潜水艦網の一部、大きなコンクリート製のいかりなどが見える。湾周辺は、幅の小さい砂や砂利の海岸がある。

湾からは、沈む夕日がのぞめる。毎晩夕日は見事な景色を描きながら、地平線の彼方に沈んでいき、ヴィチャジ湾を闇に包む。