来年、カナエワは、新体操歴10年の節目を迎える。成功への道程は、その演技と同様、まっしぐらで輝かしかった。
ジェーニャはスポーツ一家に育ち、父親はグレコローマン・レスリングの審判。母親のスベトラーナ・カナエワは、背中をケガして18歳でキャリアを終えた新体操のスポーツマスターだ。だが、6歳の彼女をオムスクの新体操スクールへ入れたのは両親ではなく、ただ体操が好きな祖母だった。
ジェーニャの忍耐強さは底なしだった。夜の練習場で独り、難しいエレメントを何度も繰りかえし、猛練習の締めくくりには感情を込めてもう一度最初からプログラムのおさらいをした。
運もよかった。オムスクで、ジェーニャは後にアテネオリンピックの銀メダリストとなるイリーナ・チャシナとともに彼女のコーチであるベーラ・シテリバウムスの指導のもとで練習に励んだ。
コーチは、自分の教え子についてこう語る。「ジェーニャにはアリーナ・カバエワの身体的資質とチャシナの粘り強さや志の高さがあります。コーチとして私が言えるのは才能がすべてではないということ。練習熱心なところがジェーニャの身上です」。
カナエワ選手は当人の言によると、子供の頃は「ぽってりしていて、がに股だった」。そこで、孫娘可愛いさにお祖母さんが新体操のクラブに連れて行った。新体操をやれば、スリムになり、がに股も直るだろうと考えた次第。
カナエワ選手は「あの頃は目標なんて立てませんでした。ただ可愛くなりたい、ということでしたね」と振り返っている。
カナエワが初めて国際大会のジュニアの部で優勝したのが、2003年にガスプロムを代表して出場した日本での世界クラブ選手権イオンカップだった。その頃に新体操のロシアナショナルチームのイリーナ・ビネル監督が彼女に注目し、カバエワが君臨していたチームの拠点であるトレーニングセンター『ノボゴルスク』で練習するよう声を掛けたのだ。
ロシアチームは選手層が厚いので、カナエワが成人の部でデビューしたのは4年後のバクーでの欧州選手権だった。
カバエワが大ケガのために急きょ棄権し、ジェーニャが出場することになった。ビネル監督は、若き新体操選手のリボンの演技に期待をかけた。決勝でカナエワは、キャリアの豊富なライバルたちを抑え、金メダルを獲得した。
カナエワは北京五輪にはロシアチームのリーダーとして出場し、大差をつけて個人総合で金メダルに輝いた。
オリンピックの後も彼女は華々しい活躍を見せた。三重県での世界選手権では6個の金メダルを獲得し、1992年にロシアのオクサナ・コスチナが樹立した金メダル5個の記録を塗り替えた。
ジェーニャは「北京五輪の予選で、私は手具を落としてしまいましたが、首位で決勝へ進めました。きっと一番大事な日にミスを犯さないために、試練を通してより強くなれというサインなのです」。
ロンドン五輪でカナエワは史上初の新体操個人総合2連覇を達成し、歴史を書き換えるかもしれない。
エフゲニア・カナエワ選手の成績
北京オリンピック | 2008年 | 個人総合1位(金メダル) |
三重世界新体操選手権 | 2009年 | 個人総合1位(金メダル6) |
モスクワ世界新体操選手権 | 2010年 | 個人総合1位 (金メダル4、 銀メダル1) |
モンペリエ世界新体操選手権 | 2011年 | 個人総合1位 (金メダル6) |