サンクトペテルブルグ、1907年。写真提供:タス通信
1907年の今日、サンクトペテルブルグで、日露協約の第一次条約が締結された。
この条約は、1904~1905年の日露戦争後の両国関係を正常化するものであったと同時に、米国の満州、極東への進出を警戒した両国が、双方の権益を分割し認め合う意味ももっていた。
日露協約は4次にわたって締結され、かつての敵国は友好国となり、第一次大戦にもともに連合国として参戦した。
日露協約で両国関係が安定した結果、ロシアは積極的な極東開発を再開し、日本は戦後の経済復興に取り組むことができた。
同協約は、1917年のロシア革命後、ソ連により破棄された。日本は、大陸の権益が脅かされるとして危機感をつのらせ、このことが日本のシベリア出兵(1918~1922)、ひいては1931年の満州事変に始まる中国侵略の一つの背景となっていく。
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