ドームハウス

=ロシア通信撮影

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アルタイ山脈とそのふもとに位置し、モンゴル、カザフスタンと境を接するアルタイ共和国は、豊かな自然と様々な古代遺跡で知られる。そのウイモン谷に、巨大なテニスボールさながらの球形の建物が2年前に建てられるや、またたく間にロシア各地から数百人の旅行客を集め、隠れた穴場となった。

2年前に、アルタイ共和国に隣接するアルタイ地方と、東シベリアのクラスノヤルスク地方からそれぞれ家族が、当地のムリタ村にやってきて、自宅用に球形の家を2軒建てたのが事の始まり。

オーナー兼社長であるマリヤ・バジェノワさんは、この“ドームハウス”2軒のうち1軒をゲストハウスとして解放することになったいきさつについて、こう説明する。

「私たちは変わったデザインが好きで、それを実現する大胆さも持ち合わせているので、丈夫で変わった形の住宅を建てたいと考えました。旅行客に解放するつもりはなかったですし、こういう流れになったのも自分たちのアイデアではありませんでした。家に泊りたいという希望が殺到したのが、ゲストハウスとして解放したきっかけです」。

当初は3世帯住宅として設計された。2階にはベッドルームが5部屋あり、様々な色調にまとめられている。1階にはゲストルーム、バスルーム、キッチンなどがあり、3階には独特な屋内庭園兼マッサージ室がある。今シーズン、客室が新たに3部屋できる予定だ。

「3階部分にお客様向けの宿泊スペースをつくろうと考えています。タイプはエコノミーで、2階の客室よりもお安くなります」。

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ユニークな建築技術

ドームハウスの宿泊需要が伸びるなか、オーナーは新たにもう1軒の建設を去年開始した。

「順調に進めば秋には完成するでしょう。ドームハウスの建設にはあまり時間がかかりません。現在あるものは6月に着工し、9月には完成していましたから、3カ月しかかからなかったことになります。むしろ時間がかかったのは内装です。この独特な形状に対応できる内装職人を探すのに手間どりました」。

青年のグループが見つかり、内装方法が適宜考案されていったものの、困難な問題にぶつかることも多々あった。

「すべて丸い形をしているので難しいのです。技術的、工学的に独自の方法で解決しなければならないことが沢山出てきました。腕利きの職人技術者が一人いて、アイデア豊富な発明家で、とても助かりました」。

ドームハウスには木造の骨組みが採用されているが、軽い構造の建物が土台から外れないように、建物の内部が鉄骨で強化されている。断熱材にはスラグウールが使用され、厚さ43センチの外壁の内部には、厚さ10センチのエアクッションが入っている。屋内には大型のペチカがあり、ヒートポンプで空気熱をくみ上げて温める仕組みで、3階までとても温かく、冬でも暖房は必要ない。内壁には3色のソフトタイルが貼られている。

建物の中心には光柱が設置されている。これは中が空洞の円柱で、先端部分がガラス張りとなり、自然光を階下まで取り込めるようになっている。新たに建設される家では、窓の数も増やされる予定だ。

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地球の終末に備えて?

地元では、バジェノワさんとその友人が、地球の終末に備えて球形の家を建てたという噂が広がっている。最近、古代マヤの長期暦(長い期間をカバーする暦)が2012年冬至の頃に終わり、それが人類の滅亡を意味する、という“説”を信じる人が、当地でも多い。いわゆる2012年人類滅亡説だ。

バジェノワさんは反論し、自分たちはただ新しい奇抜なものが好きなだけなのだ、と言う。

 「ウイモン谷の住民は球形の家に住むべきだとかなんとかいう風説は前からありまして、私たちはここに移って来たときにそれを聞かされました。私たちがそんな話を考え出したわけではありません。私たちはただ、面白いじゃん、と思って飛びつき、実際にそれを建ててみただけなんです」。

ドームハウスは1960年代から1970年代にアメリカで発案されたものだ。ノボシビルスクにはガラス製のドームがあるし、モスクワにもそういう形の建物は存在する。唯一の違いは、これまで建てられたものがカフェ、レストラン、クラブといった大衆向けの施設だったのに対して、ここが住宅となっている点だ。

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誤解と圧力

地元の住民は、ウイモン谷を一種のパワースポットととらえている。ちなみに、1926年には、ニコライ・レーリッヒがここで学術調査を行っている。この画家にして宗教学者は、チベットの伝説の王国「シャンバラ」に憑かれた人で、ヒマラヤ、チベットを描いた絵が多い。 

バジェノワさんはアルタイ地方のビイスク市から、もう一軒のドームハウスのオーナーはクラスノヤルスク市から、それぞれ移住してきて、家を建てたのだが、色んな誤解、調査で散々な目に遭ったという。

「最初はこの家の件でひどい圧力がかかりました。色んな反対意見を浴びせられ、建設が終わると、今度は調査が次々に行われました。ゴルノ・アルタイスク市の機関だけでなく、連邦保安庁(KGBの後身機関)までやって来て、管理下に置かれたんです。私たちが誰なのか、ここで何をしているのか、なぜこんな形の家が必要なのか、関心を持っているんです」とバジェノワさんはため息をつく。