レーニン廟の将来は?

=タス通信撮影

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永久保存されているレーニンの遺体を埋葬すべきか―。この問題は、ロシアでは年に1回ぐらいの頻度で必ず取りざたされる。各種アンケートでは、だいたい埋葬賛成が70%弱、反対が30%強という結果が出ており、とくに高齢者に反対意見が根強い。しかし実は、国民感情以外にも、そう簡単には埋葬に踏み切れない事情がある。

1924年にレーニンが亡くなると、ソ連政府は、「多数の国民の要望に応えて」、レーニンの遺体を永久保存するために、特殊な保存処理(エンバーミング)をほどこした。この措置は、実はスターリンの意思によるもので、新たな「宗教」を創り、国民の統治を容易にしようとした、と考える研究者が多い。

遺体の保存方法

保存方法を考案したのは、生物化学者イリヤ・ズバルスキーと解剖学者ウラジーミル・ボロビヨフ。その方法は、ズバルスキー本人の著作によると、臓器等を摘出し、ホルムアルデヒド溶液を主成分とする防腐剤「バルサム液」を浸透させる、というもの。1年半に1度、遺体をバルサム液に漬ける“メンテナンス”が必要だという。剥製か蝋人形ではないかとの偽物説もあったが、そのメンテナンスの画像が公開されるにおよび、沈黙した(詳しくは次の本を参照。『レーニンをミイラにした男』(イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン著、赤根洋子訳、文春文庫))。

保存処理された遺体を安置するために、レーニン廟が、1924年から1930年にかけて建設された(設計は建築家アレクセイ・シューセフ)。建物の形は、古代メソポタミアのジッグラトや古代エジプトのピラミッドを参考にした折衷様式だ。

1953年から1961年にかけて、同じ廟に、同じ技術を利用したスターリンの遺体が保管されていたが、スターリン批判の高まりのもとで、第22回ソ連共産党大会(1961年)の全会一致の決議で、廟から除かれ、埋葬された。

遺体と廟の所有者は誰か

グロテスクだ、非人道的だ(レーニンの遺体の永久保存には、親族も反対だった)、正教の伝統にもとる…等々、埋葬を主張する声は、近年やむことがないが、もし、実際に埋葬に踏み切ろうとすると、まず所有権の問題とぶつかることになる。今、ロシアでは、遺体と廟は誰が所有しているのか。

レーニン廟の“後継者たち”

第二次世界大戦後、元首の霊廟や遺体の防腐処理は、国際的に関心がもたれるようになり、ソ連のノウハウには大きな注目が集まった。レーニンに次ぐ「成功例」は、ゲオルギ・ディミトロフ(元コミンテルン書記長、ブルガリア首相。1882~1949年)の遺体の保存だった。

現在、ブルガリアは、NATO(北大西洋条約機構)とEU(欧州連合)に加盟している。ディミトロフの遺体は、ソ連崩壊に先立つ1990年にいち早く埋葬され、大きな霊廟も1999年に爆破、撤去された。爆破の様子を撮影した動画は、今でも「ユーチューブ」で人気がある。というのは、冷戦時代に死去したディミトロフの廟は、核戦争を想定した強靭な建築物だったので、爆破が容易でなかったからだ。

アンゴラ共和国のアゴスティニョ・ネト初代大統領(1922~1979)の遺体も同様に処理されたが、アフリカの気候条件下では十分な効果が得られなかったため、こちらは処理後まもなく埋葬されている。

ソ連時代、霊廟の建物とその複雑なシステムは、最重要保管物と考えられ、KGB(国家保安委員会)の管轄下にあった。遺体の方は、スターリンが死去するまで、やはりKGBの一機関だった研究所に属していたが、その後、研究所はソ連保健省の所管となった。現在は、ロシア農業アカデミー「全ロシア薬草・香草研究所」(生物医学技術・科学製造センター)が管轄している。

仮に政府が埋葬を決定すると、数千件もの法的問題を解決しなければいけなくなる。ソ連の政令を含め、国家の命令、指令の数々を、誰が解除するのだろうか。手始めにすべてを公開するのか。

レーニンの埋葬と最初の木造霊廟の建設に関する書類は、旧「ソ連共産党中央委員会付属マルクス・レーニン主義研究所・党中央文書館」にあり、「レーニン永久記念に関する委員会」関係文書を収める第16書庫の第2(機密)目録に、88年間眠り続けてきた。遺体を長期保存できる液体の成分と化学式は、今でも機密事項だ。

保存技術の商業化?

経済的な問題も派生する。

レーニンを埋葬し、それに付随して、液体の化学成分の秘密が明かされれば、その私有化や量産、ドラッグストアやインターネットでの販売、輸出などが次々と起こるだろう。葬儀にかぎらず、剥製の製造などでの動物への応用も含め、幅広い用途があるため、市場で人気が出ることは間違いなく、需要は保証されるはずだ。

この液体の特許権や所有権は誰にあるのか。遺体をめぐる争いが起きはしないか…。

アジアの元同志たちに配慮すべき?

社会主義国家はまだアジアなどに存在している。スターリンが死去する前、「スラブ式社会主義」に幻滅し、「アジア式社会主義」に注目していたことが思い出される。

中国、ベトナム、北朝鮮などでは、指導者の遺体が防腐処理され、霊廟で大切に保管され、国民の誰でも拝観できるようになっている。その彼らの多くにとって、“総本山”は依然としてレーニン廟だ。

元“同志”たちは、ロシア国内の議論にいら立っているだろう。ホー・チ・ミン、毛沢東、金日成などの初代国家指導者、また最近死去した金正日の遺体を長期保存している元友邦は、今後もずっとモスクワの赤の広場に霊廟を訪れたいと願うだろう。

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