週末はダーチャ行き

=PressPhoto撮影

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ダーチャ(別荘)は、かつては国から信頼されている証とみなされ、後には家庭に彩りを添えて生活を助けもすると考えられていた。今では休息の手段であるが、最も人気のあるレジャーで、多くの国民が夏休みをダーチャで過ごすという。

春になると、ロシアのどこの大都市でも毎週金曜日は同じような光景が見られる。午後四時頃から、郊外へ向かう道路はびっしり車で埋まり、車内も人間やペットやありとあらゆる荷物で埋まる。

まるで集団疎開、都市からの脱出のようだ。人々は都会の日常を逃れ、二、三日でも心置きなく羽を伸ばせるダーチャを目指す。

ダーチャは、広大な国土を有するロシアならではの現象だが、特別なものという感じはしない。約607平方メートルの狭い土地に、スグリやリンゴの木が何本か生え、人参などの野菜を植えた畝があり、ちっちゃな家が立っているだけだ。もっとも、近年、ロシアには立派な郊外の家が現れ、円柱や欄干といった凝った意匠の施された御殿もある。

現在、ロシアでは菜園やダーチャの数が4千万を超える。国民の約3人に1人がそれらの所有者となっているが、事の起こりはかなり昔にさかのぼる。

早くも 19 世紀初めに、ロシアの歴史家カラムジーンは、夏にはみんなこぞって郊外へ移るためモスクワは人気が絶える、と記した。

19 世紀中頃にダーチャはロシア全国に広まり、多少裕福な人は夏を自然のなかで過ごすために田舎に家を借りるようになった。ロシア文学にも登場し、イワン・ツルゲーネフやアントン・チェーホフといった文豪の多くの作品の舞台となっている。

文化財の街「ソーコル」

=コメルサント撮影

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『ソーコル』は、1923年に建設されたモスクワで最初の協同組合住宅街。『ソーコル』の建築家たちは、20 世紀初めに人気のあった「田園都市」という構想を実現した。 

都会と田舎のいい面を合わせもつ都市形態は、 19 世紀末にイギリスの社会改良家エベネーザー・ハワードが提唱したもの。1979年から、この街はソ連初期の都市建設を今に伝える文化財として国家の保護下に置かれている。

1917年の社会主義革命の後、ダーチャはブルジョアの名残とされ、個人所有は不要とみなされた。しかし、スターリン時代にまた息を吹き返す。それは特権としてであり、高級官僚や作家や学者といった社会のエリートに与えられていた。

1960年代には真のダーチャ革命が起こり、ソビエト政権は希望者全員に小さな土地を持つことを許可した。それは、共産主義思想からの大きな逸脱であったが、国の食料事情を少なからず助けた。才覚ある市民は自分の土地で野菜や果物を何十キロも何百キロも栽培していた。

数年前、ロシア当局は、ダーチャを持つ人々に一つの贈り物をした。ソ連崩壊後、ダーチャの持ち主たちは自分の財産として販売したり贈与したりしたくなったが、権利書がないためにかなわなかった。そこで、当局は新しい土地法典が発効した2001年までに入手した土地の所有権取得の手続きを簡略化したのである。

今では郊外の別荘は、余暇というロシア人にとって極めて関心の大きい問題を見事に解決してくれている。ロシア人は、グローバルに物事を考えたり世界や人類の運命に気をもんだりすることは得意でも、余暇の過ごし方となるとお手上げである。

不思議なことにダーチャでは各々が自分のやりたいことを見つける。夫は壁に釘を打ち、妻は土をいじり、子供やペットは好きにさせられて誰の邪魔もしない。このようにダーチャは家庭を円満にする大事なファクターでもある。

消費動向調査会社「ロミル」社の世論調査によれば、ロシア国民の3分の1は今年の夏休みをダーチャで過ごすと答えている。今は若年層にも人気があり、 18 ~ 25 歳の若者の 35 %が旅行よりもダーチャでの休息を望んでいる。欧米ではエコツーリズムと称されて流行しはじめたばかりだが、ロシアではこうした休息は誰もが手軽に楽しめるので流行とはまったく無縁である。