ステファニー・メイヤーの『トワイライト』シリーズが発表されるはるか前、そしてハリー・ポッターの第1巻目が出版されてまだ1年も経っていなかった頃、セルゲイ・ルキヤネンコは、独特のロシアらしい超自然世界を、手品のように創作した。ルキヤネンコによる『ナイト・ウォッチ』シリーズの第一作は、1998年に出版されるとベストセラーになり、カルト映画として映画化されるとともに、魔術もののファンを惹きつけた。魔女、魔術師とオオカミ人間、女の魔術師、そしてもちろん吸血鬼たちが、独特の雰囲気を醸し出す薄暗いモスクワという舞台で活躍する。
ルキヤネンコ氏は1968年、カザフスタンに生まれた。彼はアルマ・アタの国立医科大学で研修を受けたが、小説家としての腕を試した。学生時代に科学小説を執筆しはじめ、少しずつ物語や小説で生計を立てるようになり、1990年代初めには科学小説に関する寄稿誌の編集を手がけ、1996年にはモスクワに活動拠点を移した。
この小説の主人公のアントンは「光」の魔術師で、「闇」の異人たちの活動を監視するナイト・ウォッチのパトロール隊員だ。吸血鬼を探してモスクワの地下鉄に乗車中、彼は美しい若い女性の頭上に暗い渦が巻いているのに気づく。超自然的な描写をなじみのある景観に織り込ませるところが、ルキヤネンコの技巧の特徴だ。ある瞬間、登場人物がマクドナルドや工場の食堂、そしてオスタンキノのテレビ塔を通りすぎたかと思いきや、次の瞬間には、そのうちの一人が「運命の書」を描いている。 これこそが、何百万部もの販売を記録し、何十もの受賞を受け、世界各地に熱烈なファンベースを作り上げることになった強力なコンビネーションなのだ。
『ナイト・ウォッチ』の刊行自体だけでも画期的だったが、ルキヤネンコを一躍文学界の寵児にしたのは、2004年の映画化だった。この映画はソビエト崩壊後、成長し始めたばかりの映画業界で興行記録を更新し、あまりにも成功したために、ハリウッドが第三作目の制作権を購入するほどだった。
極めてロシアらしい映画
ティムール・ベクマンベトフ監督は、2005年のBBCとのインタビューで、次のように語っている。「『ナイト・ウォッチ』は、とてもロシアらしい映画なのです。このような映画が他の場所でできるとは想像できません。結末は意気消沈させるし、あらすじは訳がわからないし、登場人物は不可解という映画なのですから」。
この小説と映画がエキサイティングなのは、モスクワを舞台としているからだ。映画によく使われる典型的なアメリカの都市に比べて、新ゴシック様式の摩天楼やドーム型の教会が特徴のロシアの首都は、空想の世界から古代の国をそのまま持ってきたかのような感覚を与えてくれる。ベクマンベトフ監督はモスクワを、「発見されるのを待ち受けているかのよう」に素朴なスタイルを持ち合わせた、「極めて映画に適した神話的な都市」であると表現している。
人気上昇のアーバン・ファンタジー
昨年11月、ニコラス・シーリーが「ストレンジ・ホライズンズ」という雑誌上で、1990年代のファンタジージャンルは、「剣と魔法から、現代的あるいは超現代的な都市という設定に方向転換した」と指摘した。同氏は「モラルの複雑性がより高度なものに変遷した」と述べ、それが単なる舞台設定上の変化以上のものであった、と説明した。シーリーはルキヤネンコの小説を「発展途中のアーバン・ファンタジーにおいて将来性がある作品」と評したうえで、著者のルキヤネンコ氏に、自分の考えをもっと語るよう促した。「私を科学小説に引きつけるのはミステリーです。それは『もし』と問いかけることができるからです」と、ルキヤネンコはシーリーに答えた。
ルキヤネンコは『ナイト・ウォッチ』シリーズの、残忍な社会的背景についても説明した。彼はシーリーに対し、共産主義の崩壊が引き起こした混乱と絶望について、次のように話した。「多数の一般市民にとって、ソビエト連邦の崩壊がいかに悲劇的であったかについて、アメリカ人が全員それを理解しているとは思えません。国中でどれだけの流血沙汰の紛争に火がついたか、犯罪、腐敗の件数と失業率がどれだけ上昇したかということを。ソビエト連邦の崩壊によって生じた利点の全て(移動の自由、表現の自由など)は、劇的な経済的・社会的混乱により打ち消されてしまい、ロシアは否定的な雰囲気に満ちており、それはたいへんな時期でした。この本に込められているのは、この未だに続いている大惨事の感覚です」。
こうした暗い設定にもかかわらず、ルキヤネンコが人類の今後に対して抱く見通しは、基本的に楽観的だ。「人類は、世紀を重ねるごとに、徐々に良くなっています。もしかすると、いつの日か、お互いに闘い合うのを止める日さえも到来するかもしれません」。
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