古代遺跡へのいざない:古代ルーシのキリスト教遺産(その2)

ネルリ河畔の生神女庇護聖堂 =ロシア通信撮影

ネルリ河畔の生神女庇護聖堂 =ロシア通信撮影

ロシア人の祖先が残したキリスト教の遺産を6点、「ロシアNOW」がご紹介しよう。

ロシア人の祖先が残したキリスト教の遺産

ノヴゴロドの聖ソフィア大聖堂

 9世紀中頃、ロシア北西部にノヴゴロド公国が現れると、すぐにキエフ公国と対抗するようになった。とりわけこの競争は、豪華な建造物建築という形で現れた。当時キエフには既に多くの豪華建造物があった。そのため、ビザンティン人がモザイク装飾を施した聖ソフィア大聖堂をキエフに建立すると、ノヴゴロドは直ちに独自の「ソフィア」を建立すべく、準備に取りかかった。今日、この大聖堂はロシアで最古のスラブ建造物である。そのときに確立された建物の細さと高さの追求が、その後何世紀にもわたってロシアの教会建築の基準となった。
 
ノヴゴロドのシラカバ文書

  古代ルーシでシラカバの樹皮を筆記の材料として使用していたことは長く知られていたが、実際にその標本が見つかったのは1951年のことである。以後、何千にも及ぶ11世紀から15世紀のシラカバ樹皮の文書が発見された。その内容は、債務証書、ラブレターや、こどものお絵かきにいたるまで、さまざまである。発見された多様な文書と、そこに書かれたありふれた名前は、当時のノヴゴロドの住人のほとんどが読み書きをできたことを示している。ノヴゴロド独特の湿地性の土壌に浸されていたおかげで、膨大な量のシラカバの樹皮が今日まで保存された。 


白亜の教会
 ウラジーミルとスーズダリの白亜の教会群は、12世紀から13世紀にかけて建造され、ロシア建築の中でも特有のものだ。浮彫された装飾は、ロシア特有の装飾用技巧の代表例と考えられている。現存しているのは、ウラジーミルの聖母被昇天大聖堂、同じくウラジーミルの聖デドミトリエフスキー聖堂、ボゴリュボヴォの鐘楼と回廊、ネルリ河畔の生神女庇護聖堂、ユーリエフ・ポリスキーの聖ゲオルギウス聖堂の五つの教会である。これらには、聖人像や架空の生物像などの白亜大理石の浮彫が施されている。 


ゴールデン・ゲート
 中世ロシアにしか存在しなかったユニークな芸術品のひとつで、いわゆるゴールデン・ゲートは、その目をみはるばかりの美しさが際立つ。今日、この種の傑作は数えられるほどしか現存しておらず、スーズダリの生神女誕生大聖堂の門とモスクワのクレムリンだけである。これらの装飾に使われた金色の仕上げは、500年以上経った今も曇りさえもない。しかし、その美に感嘆しながらも、それぞれの門の輝きの裏で、製作した職人の命が代償にされたことを忘れてはならない。これらの門を造る際に、職人は水銀を扱わなければならなかったため、これはしばしば致命的な中毒につながった。サンクトペテルブルクの聖イサク大聖堂やモスクワの救世主ハリストス大聖堂も、同様の技巧が使われた典型的な例である。

 

オストロミール福音書

 スラブ国家がビザンティウム文化を模倣したもののひとつに、装飾付きの写本がある。これらはスラブ世界中で製作されたが、「オストロミール福音書」という形で、最古の東スラブ語の装飾付き写本が保存されたのはロシアである。この写本の成立は1057年にまでさかのぼり、ごく近年まで、現存するスラブ語の写本では最古のものであると考えられていた。ロシア国立図書館に所蔵されているこの写本は、今年、ユネスコの世界記憶遺産に登録された。

 

 古代ルーシのイコン

 初期の時代のロシアのイコンは、同時代のビザンティウムのイコンとの区別がほとんどつかなかった。しかし、ある専門家グループが、この年代のロシアとビザンティウムの作品を区別することを可能にする、一定の特徴をつきとめた。彼らの発見が信頼できるものであるならば、最古のロシアのイコンは、現在モスクワのクレムリンに所蔵されているということになる。それはドラゴン退治の聖大致命者凱旋者ゲオルギイを描写したもので、ノヴゴロドで11世紀に製作されたものである。イコン画家がこのイメージを創作するにあたり、キエフの聖ソフィア大聖堂にあるビザンティウムのモザイク画を模倣しようとしたことは明白である。このイコン自体は、19世紀にホデゲトリアの生神女のイコンを修復中、偶然再発見された。これはその裏側に描かれており、成立年代は12世紀までさかのぼる。

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