「トルストイ」一問一答

クレジット:ドミートリー・ヂヴィン

クレジット:ドミートリー・ヂヴィン

文芸評論家のパーヴェル・バシンスキー氏が、レフ・トルストイに関する「ロシアNOW」読者の質問に答えた。

パーヴェル・バシンスキー

 トルストイにうんざりした人がいるならば、それはその人個人の問題でしょう。何歳から「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」を読むべきなのかはわかりません。19世紀には、ギムナジウムの中学生が「戦争と平和」を読んでいました。今は時代が変わりましたが、これらの長編小説を読まずして、教養ある人間とはいえないでしょう。少なくとも、教養あるロシア人でないことは確かです。

1) 戦争とは何かという本

2) 平和とは愛によって支えられているという本

3) 悪い人間は簡単に団結するが、良い人間は団結しないため、それが問題であるという本なのです。

 

 なぜトルストイは晩年に「戦争と平和」を拒み、恥ずべきものだと考えたのですか。この本はトルストイの作品の中でも、ロシア文学の中でも、優れた作品のひとつと認められています。(ルイス・ウィットワース)

 トルストイは確かに、「戦争と平和」と「アンナ・カレーニナ」を執筆したことを恥ずかしいと考えていました。いわゆる「精神革命」に関連しています。新たに抱いた宗教的信念のため、自身の著書すべてを拒んだのです。ゴーゴリも同様で、キリスト教の信仰心により、「死せる魂」や「検察官」を拒みましたが、ゴーゴリの場合は最晩年でした。トルストイの場合は、まだ肉体的にも精神的にも元気な、人生の開花期である50歳の時にこれが起こりました。これは特殊かつ非常にロシア的な人生です。ロシア人は「船を焼く」性質、すなわちある日突然、それまでの自己の行いすべてを否定するのです。これは現代史でも起こっています。1917年と1991年です。 

 トルストイは教会と激しく対立していました。トルストイは、真のキリスト教やイエス・キリストの教えから後世に派生しただけの存在であるとして、教会を完全否定し、イエス・キリストは神ではなく、マリアとその夫のヨセフの間に生まれた啓発者と考えていました。そのため、マリアが処女のままイエス・キリストを身ごもったということや、イエス・キリストの復活など、教会のすべての教義や機密を否定しました。結果的に、トルストイの対立相手は教会にとどまらず、正教を正式な宗教としていた国にまで発展しました。

 1905年に良心の自由と言論の自由に関する皇帝の詔書が発布されるまで、ロシアではトルストイの宗教に関連する著作は一切公表されませんでした。厳しい検閲により、すべてが禁止されたためです。イギリスやスイスで先ずロシア語で出版され、その後違法にロシアに流入しました。国内で頒布に関わった人は、トルストイの秘書だったニコライ・グセフのように、シベリア流刑になりました。これはトルストイを苦しめました。ロシアで出版されなかったばかりか、トルストイの考え方を支持した人々が弾圧された一方で、トルストイ本人には指一本触れられなかったので、彼自身はヤースナヤ・ポリャーナで平穏に暮らすことができたのです。ここから教会に対する苛立ちが募るようになり、論文「聖職者について」や長編小説「復活」の一部で聖餐を愚弄するような描写を行い、感情をぶつけたのです。この二作品が決定的となり、トルストイを正教徒と考えてはいけないとする、聖務会院の「判定」が発行されることとなりました。世間は、「判定」を受け入れてトルストイをキリスト教と自分の敵と見なす人と、「判定」を受け入れない人にわかれました。受け入れなかった人の中には、聖職者も多く含まれていました。トルストイと教会の対立は、世論の分断を招き、ロシア革命を早めることとなりました。

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トルストイには婚外子が多くいたというのは本当ですか。その中で作家になった人はいますか。(イワン・シュトレフ)

 トルストイには婚外子となる息子が一人いたことは確かです。相手は農家の既婚女性だったアクシニヤ・バズィキナで、トルストイがソフィヤと結婚する前に生まれました。結婚後、トルストイは浮気をしていません。この息子はヤースナヤ・ポリャーナに暮らし、村長になったり、トルストイの長男のもとで御者を務めたりした後、アルコールに走りました。残念なことですが、貴族の婚外子にはよくあることです。

 父や貴族の存在から、自分は周囲の人間より優れていると感じるのですが、婚外子が法的に子供となることは難しいため、その周囲の人間との生活を余儀なくされてしまいます。ロシアは世俗国家ではなく、正教国家でした。法的な子供と認められるのは、正式な結婚式の後に生まれ、教会で洗礼を受け、特別な教会の記録簿に記載された子供に限られます。ですので、トルストイの息子は、たとえトルストイ本人が望んだとしても、法的な息子にはなれませんでした。 


「クロイツェル・ソナタ」はトルストイの傑作のひとつであると思うのですが、同じお考えですか。同じだとしたら、なぜそう思われますか。同じでないとしたら、その理由は何ですか。(アントニオ・アンドレオッティ)

 「クロイツェル・ソナタ」がトルストイの傑作のひとつであることは、間違いありません。ただ、その破滅的な内容から怖い作品で、トルストイらしくない本です。同じぐらい怖い作品の「悪魔」とセットにして考えることができます。この二作は性愛に関する二部作のようなものです。トルストイは生涯にわたって、性行為を秘密めいた怖いもののように考えていました。トルストイは日記の中で、性行為を「屍」と比較していました。つまり、性行為の最中、人間は一時的に「死ぬ」と考えていたのです。「クロイツェル・ソナタ」の中で、その隠喩を用いました。色情の結果が嫉妬となり、嫉妬の結果が殺人や屍となると。また、トルストイは「クロイツェル・ソナタ」の中で、人間に与える音楽の影響について、おもしろい解釈をしています。これを反理性的な影響としていて、理性に従わないものはすべて、トルストイを怖がらせました。

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