ボストーク基地=ロイター撮影
ボストーク基地は巨大な湖の上にある。淡水貯水量で世界第5位を誇るこの湖は、4000メートル近い厚さの氷の下に隠されている。最も肝心なことは、これまで誰もこの湖に触れていないということだ。ボストーク湖に向けて最初はソ連の、後にロシアの学者らが、23年間にわたって掘削を試みた。ロシア水理気象局長のアレクサンドル・フロロフ氏はこう説明する。
「湖との接触は、科学にとって特別な関心事だ。それは、地球と地上の生命の起源に光を射し入れることなのだ。ボストーク基地に行くのも、「飛行機でさっと」という具合にはいかない。ロシアの観測隊が南極大陸に行くとき、もし海路で行けば、数ヶ月という長い日数を要する。飛行機なら南アフリカ共和国からだが、1年にわずか10便から12便の特別便しかなく、天候が許す3ヶ月から4ヶ月の短期間に限られている」。
灼熱のアフリカから極寒の南極大陸まで5時間。ノヴォラザレフスカヤ基地(外国人はこの基地を「ノヴォ」と呼んでいる)の飛行場は、大陸への入口となるロシアの門だが、そこはさながら観光基地か登山キャンプのようだ。数々の巨大なテント、スキー、リュック、そして世界中の国々の旗。あたかも南極旅行者は特別選抜者で、エヴェレスト登山隊や宇宙探査隊のようだ。絶体絶命の冒険のスタート地点でありフィニッシュ地点でもある。自転車で南極点に向かう者もいれば、南極マラソンをする者もいる。英国のポールさんは、南極に来るのに多額のお金を支払ったそうだが、その日焼けした顔と凍りついた唇から判断すると、もう南極大陸の空気を十分に味わったようだ。
「私たちはスキーで南極点まで行った。なにしろ今年は、アムンゼン・スコット隊が初めて南極点に到達して百年の年なのだ。1ヵ月かかった。正直に言って可能性の限界だったが、でもたどり着くことが出来た。厳しい、本物の冒険だ。まずノヴォラザレフスカヤ基地からプログレス基地まで飛行機に乗り、そこからようやくボストーク基地にやってきた。ここは南極大陸の中で最も寒いところで、いつも暴風が吹き荒れている。おまけに湿度が0%で、酸素が足りない。高度5000メートルと同じだ」。
飛行機が高度5000メートルに上昇すると、機内圧は機外と同じになり、息が苦しくなる。それは眠っていても、だ。チェーン・ストークス症候群(無呼吸症候群)が始まり、深呼吸は5回に1度になる。とにかく、急激な動きやとっさの動きができない。もちろん、乗組員らは「吸入器を使って」酸素を吸うように勧めるが、自分の弱さを見せたくはないものだ。そんなとき、ボストーク基地では極地観測隊員らは何ヶ月もこんな生活をしているのだ、という思いが浮かぶ。もちろん風土に慣れるということはあり、1週間か10日もすれば、頭痛も吐き気も治まり、よく眠れるようになる。南極大陸の奥深くに常設観測基地がわずか3つしかないのは、どうやらそのせいらしい。南極点にある米国のアムンゼン・スコット基地。仏伊合同のコンコルディア基地。そして寒冷極点にロシアのボストーク基地がある。ボストーク基地は、1年のうち9ヶ月間、外の世界とは完全に遮断されている。これは大げさな表現ではない。絶えない暴風雨のため、飛行機がそれを突っ切ることができないのだ。船は氷の中に埋もれてしまう。ボストーク基地に何が起ころうと、外部からの助けはこない。そして基地に着いても、南極のロマンについてしゃべっている時間などない。2、3時間後には飛び立たなければならない。私たちはうまく天気の隙間にもぐりこむことができたが、隙間はすぐに閉じてしまう。ほとんど無風状態の時でも、現地の尺度では暖かいとはいえ、マイナス45度なのだ。寒くなったと思うと、マイナス56度だった。そうなると、無風状態でも飛行機は飛べない。スキーも進まない。この温度だと雪は凍りついて、金剛砂のように固い粒になってしまう。呼吸を乱さずに行き着けるように、ゆっくり急ごうと努める。メンバーの一人の気分が悪くなり、医療用酸素ボンベが運ばれてくる…。
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電気ドリルが掘削孔を3500メートルの深みに下る=ロイター撮影
白い砂漠だ。数棟の建物とアンテナと掘削櫓、それがボストーク基地のすべてだ。50年前は様子がちがい、小さな居住区だったが、今ではすっかり雪に覆われ、跡形も無い。基地の内部に入るには、狭く寒い迷路に下りていかねばならない。そこをくぐると、雪の下に掘られた見事な大通りだ。この氷の廊下の壁の窪みには、本で一杯の書棚や、伝説的な南極観測家の胸像があり、予備の飲料水となるサッカーボールほどの大きさの立方体の雪が並ぶ。液体の水を手に取る場所はない。
センセーション自体をそっくりそのまま見渡すことが出来る。まさに工場そのものだ。巨大な巻き枠から、どこか床下に向けて垂直にロープが下りており、それに付けられた電気ドリルが掘削孔を3500メートルの深みに下り、戻るときは棒状の氷床を引き上げてくる。掘削孔には灯油とフレオンの混合液が注入されている。かつて仏、米の観測隊を憤慨させたのはこれだった。彼らは初期段階では掘削に参加していたが、プロジェクトから手を引いた。彼らはボストーク湖に異物が混入するかもしれないと考えたのだ。その後、ロシアの学者らがグリーンランドの実験場で、汚染の可能性は排除できることを証明した。
ボストーク湖のことを話すとき、南極観測隊員らは自分の誇りのように話す。湖が生まれたのは約2億年前。水深は1200メートル。水圧は300気圧。酸素濃度は普通の水の50倍。どんな魚も先史時代の恐竜もそこにいないことが分ってくる。だが、もしたとえ微生物でもこの条件下で生き延びられたとしたら、それは地上では未知の生命体だ。
「最初は、われわれが調査している氷の中に、たとえ何か生命の痕跡でも見つかるだろうという大きな期待があった。今までに見つかったのは、高温のもとで生きる好熱性バクテリアだけだ。生物学者らは、氷はきわめて純度が高いと言う。つまり湖水中に生命が見つかる望みはあまりないということだ。たとえボストーク湖の水中に何も見つからなくても、その事実自体もセンセーショナルなことだと言える。無菌の巨大な貯水池なのだ。地球上で唯一の。氷に覆われている他の惑星にも生命体は存在し得ないという類推が可能だ」。
残念ながら、湖への侵入というセンセーショナルな瞬間は、私たちがボストーク基地を飛び発って、2時間ほど後だった。南極隊員らがあとで伝えてくれた話によれば、掘削孔からあの灯油とフレオンの混合液が数立方メートルほど吹き出たとのことだ。コンピューターは、圧力の急上昇を記録した。ドリルは、深度3769メートルでボストーク湖に達した。
ロシア水理気象局長のアレクサンドル・フロロフ氏にとって、これば大勝利だ。ロシア水理気象局は、30年近く続いたプロジェクトの当然の結末を迎えたわけだ。その上、外国の研究者らは、明らかにこの結果を羨んでいる。
「誰もこんな深度にまで掘削を行うことはできなかった。また、誰もこれほどの深度から氷床コアを取り出すことはできなかった。つまりわが国の科学が生きており、未だ高い競争力を保っているということだ。最初に月に降り立ったのは米国だったが、われわれは初めて、この深いボストーク湖まで到達し、掘削を行ったのだ。掘削孔から初めて水のサンプルと棒状の氷床コアが採取された。その半分は基地の氷床保管庫に残され、あとの半分は、サンクトペテルブルグの北極・南極研究所の実験室に運ばれる。あらゆる意味で深い研究がスタートするのは8ヶ月から9ヶ月後だ。悪天候のため、学者らはボストーク基地を去らねばならなかった。あと1日から2日あれば、全員が基地で越冬できたのだが。センセーションをもたらした掘削孔は、来シーズンまで封印される。
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