市民の立ち位置 vs. 身を切る寒さ

ロシア大統領選挙戦は終盤を迎えており、投票日の丁度一か月前に当たる2月4日、全国で大規模な抗議集会が開かれた。

Simone Cerio/Parallelozero, Michael Mordasov/FocusPictures撮影

最も大きな集会が開かれたのはモスクワである。政治的見解が真っ向から対立する人々が同時に街頭へ繰り出し(双方の隔たりは文字通り、数キロメートルしかなかった)、両者とも厳寒に怯むことはなかった。

 この日のモスクワは氷点下22度。前回の抗議のシンボルであった白いリボンに替わり、白いマフラーを凍える参加者たちに配る人々がいる。足踏みをして体を温めようとする人や、ミハイル・プロホロフ大統領候補のシンボルマークの入ったトラックへ引き上げる人もいる。そんな中、プロフロフ本人が、警護もなしに群衆の中央に立ち、人々にオクチャーブリスカヤ(十月)広場を目指すよう呼びかける。彼の声はよく聞こえないが、その姿ははっきり見え、彼の白い帽子が群衆を目的地へ向かわせている。これほどの寒さの中でじっとしていることは不可能だ。野党支持者の行進は予定通り、ボロートナヤ広場での40分間の集会をもって終了した。

「ご不便をおかけしてすみません。私たちはただ世界を変えようとしているのです」、「よその国を食べさせるのはもうたくさん」、「三期目は余計だ」、「プーチンをホドルコフスキーに替えよう」など、抗議のプラカードの内容は、デモ参加者たちの政治的見解と同様、それぞれまったく異なっている。

クリックすると拡大します

「まさに今、ロシアばかりでなく、全世界の歴史において、何か重要なことが起こっていると思います。私は、人々がついに目を覚まし、自分たちも政治プロセスに参加できることを悟る日が来るのを、長いこと待っていました」。ある参加者は語る。

この日、首都では同時に四つの集会が開かれた。どの集会でも、社会活動家、ジャーナリスト、ミュージシャンらが発言し、大統領候補本人による演説はなかった。しかし、それで聴衆の数が減ることはなかった。ロシア内務省総局のデータによれば、この日のデモに参加したモスクワ市民の総数は175千人。首都で最も大きな集会が行われたのはボロートナヤ広場とポクロンナヤの丘(ポクロンナヤ・ゴラー)だった。

ポクロンナヤの丘での集会は、野党のデモに対抗するものとなり、「私たちには失うものがある」というスローガンのもとで行われた。集会は「オレンジ運動」(政権交代をもって終了した、2004年のウクライナの大規模抗議行動)との闘い、との呼びかけで幕を開けた。ポクロンナヤの丘での集会では「民主主義の理念そのものを壊している」として、野党側が非難された。ウラジーミル・プーチン首相はこの集会の組織者たちを支持し、ここには「反オレンジの立場を表明する」人々が集まったと述べ、両陣営の対立がいっそう深まる結果となった。モスクワのポクロンナヤの丘での集会については、ツイッターでさかんに語られ、「ポクロンナヤで」という表現は一時間に2万件のツイートで用いられた。

モスクワ警察のデータによると、ポクロンナヤの丘での集会の組織者たちは、申請の際に参加者を15千人としていたが、実際には13万人以上が参加したため、罰金を科せられる。逆にサハロフ大通りでは参加者を3万人としていたが、実際には千人も集まらなかった。

「苦難の90年代以後、ロシア社会は大きな変動への備えができていませんでした。この国には民主主義が存在したことがなく、どんな体制でも決まって強いリーダーが存在していました。今の野党はそうしたリーダーを擁立することができません。今起きていることはロシア国民の思考能力の欠如を物語っており、集会をしても、人々は将来起こることを想定してはいないのです」。ボロートナヤ広場での集会参加者の一人は語った。

それでもボロートナヤ広場には、演壇に近づけないほどたくさんの人が集まった。群衆のために大型のスクリーンが設置され、そこに演壇の様子が映し出された。どの発言も二分間を超えず、「プーチンは退け」という叫びで締め括られた。

作家のボリス・アクーニン氏はこう語った。「ここへは公正な選挙を求める人たちが足を運びました。国内に民主主義がうち立てられる時、民主主義のメカニズムと公正な選挙によって、私たちは信頼できる政治勢力を選ぶことができるのです」。

ウラジオストク、イルクーツク、ヤクーツク、エカテリンブルグ、ノボシビルスクなど、抗議行動は全国で行われた。モスクワではドミトリー・メドベージェフ大統領が「ロシアのハイドパーク」のような抗議用の広場を特設するよう提案した。

ロシア連邦における政治集会参加者数データ(2月4日)

クリックすると拡大します

15時。デモ参加者たちは、魔法瓶の熱い茶で暖をとったり、ヴィクトル・ツォイの歌『俺たちは変化を待っている』に合わせて踊ったりしながら、徐々に散っていった。参加者たちが特に訴えたのは、政権側との開かれた対話の必要性だ。一方、ポクロンナヤの丘での集会は、政権側が野党を現実的なライバルとみなしたことを示した。野党は226日に次の集会を開く予定で、当局が許可すれば、それは34日の大統領選挙の一週間前に行われることになる。

 寒い時期にもかかわらず、24日が選ばれたのには、理由がないわけではない。1990年のこの日モスクワで、ソ連邦憲法第六条の撤廃を求める大規模なデモ行進が行われた。参加者たちは、ソ連共産党は「ソ連社会の指導的で先導的な力」であることを謳ったこの条項の撤廃を訴え、翌25日、ミハイル・ゴルバチョフ書記長はソ連共産党中央委員会総会で、第六条を撤廃しソ連邦大統領のポストを導入する必要性を訴えた。

なお、この条項撤廃の必要性は当時、アカデミー会員のアンドレイ・サハロフ氏が主張していたものである。「公正な選挙を求める」前回の行動が、20111224日にモスクワのサハロフ大通りで行われたことにも、関連性がある。