びっくり飾り
かつては、家庭で飾りつけるヨールカの枝には、お菓子や果物が吊り下げられていた。やがて食べ物を紙に包んだり、箱に入れる慣習が現れた。まさにそうした食べられる飾りが、現代のヨールカ飾りの起源となった。のちに、舶来の紙やガラス飾りもほどこされるようになった。初期のヨールカ飾りは、球ではなくビーズ飾りだった。博物館の主任ガイド、リュドミーラ・ジェージコワさんはこう語る。「ビーズ飾りは当初、女性の首を飾るものでしたが、時を経て、長さ1,5~3メートルのヨールカに、ビーズ飾りをほどこすようになりました」。
のちに厚紙や綿の飾りも現れた。「びっくり飾りもありました。中にはビーズか手紙を入れて糸を外に出しておき、糸を引っ張ると飾りが開いてプレゼントを手にすることができる、というものです」とリュドミーラ・ジェージコワさんは語る。
クリンの女性職人たち
工場の博物館には麗人たちが勢揃いしている。「ミス・ロシア」は、ボログダの模様の球で飾られている。東洋のヨールカ「ミス・日本」には、陰と陽を象徴する黒と白の二色の飾りがほどこされている。お隣には、色鮮やかな「ミス・モロッコ」。こちらは、王冠を被り、赤と金色のリボンをウエストにつけている。さらには、商人、雄鶏、マトリョーシカなどの形をしたプリャーニク(糖蜜菓子)で作られた、食べられる飾りのついたヨールカもある。
クリンの工場で、男性職人が500度から900度の温度のガスバーナーに向かって座っている。それぞれの職人にガラスの管がある。数秒で職人がガラスを切断すると、手には二本の角をもつガラスが残る。
代々家業としてガラス吹きを引き継いでいるピョートル・イワノビッチさんはこう語る。「一朝一夕でなれるものではありません。ガラス吹き工を目指す人は、まず9カ月間見習いとして働かねばなりません」。
絵付けも重要な工程の一つだ。こちらは大抵、女性の職人が受け持つ。めいめいの机の上には、工場の主任美術家が描いた絵がある。たとえばキノコを描く場合、まずエッチングがほどこされ、それからキノコの傘などが描かれていく。一つの飾りは模様の複雑さに応じて、一日に7回から10回ほど、女性の職人によって絵付けされる。
今日では、お土産の飾りは、年に一度だけでなく、様々な祝日で贈り物として使われている。ジェージコワさんはこう加える。「白鳥は愛と忠誠のシンボルで、結婚式でプレゼントされます。エンゼルは名の日の祝いに贈ることができます。鈴は悪霊を追い払うばかりでなく、持ち主を旅へといざないます」。
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