「生きるために食べているの、それとも食べるために生きているの?」=PhotoXpress撮影
温かい寿司
先日、旧友がモスクワの拙宅へ遊びにきた。
「途中でスシを買ってきたんだ。早く食べよう、温かいうちに!」
「温かい? 」
私は聞き違えたと思った。けれども、それはまさに温かいスシだった。舎利はその味や脂っこさからして、中央アジアのピラフにマヨネーズやチーズと混ぜ合わせたという感じ。ロールは海苔が巻いてなく剥き出しで、中には焼いたカラフトマスが一切れ隠れていた。この「日本の珍味」セットの値段は、普通のビジネス・ランチのほぼ三倍だ。
「何を驚いているんだい?」
友人は自分の分を残さずに平らげつつ肩をすくめた。
「そのレストランのシェフはウズベク人なんだ! 彼は自分なりにウズベク風に試しているんだよ。でも料理の名前は『日本の…』のほうがいいだろう。なにしろ日本はエキゾチックですごく流行していて、みんながお金を惜しまないんだから!」
確かに今ロシアは空前の食ブームだ。
事実上すべての新聞、雑誌、テレビ局が外国の珍味を紹介しており、大都市では試食のできるフードショーや料理フェスティバルが催されて大勢の人を集めており、高級レストランはレクチャーつきで新しい外国料理のプレゼンテーションを行っている。ファッションやテクノロジーや芸術における最近のトレンドについて論ずるよりも未知のレシピについて語るほうがナウくなりつつある。
貧富の差の拡大を尻目にグルメブーム
日本人ならもちろんこうした状況に驚きはしないだろうが、ロシアでこれほど喧しく食について語られることは決してなかった。
「生きるために食べているの、それとも食べるために生きているの?」とは、ロシアのコメディアンたちのお決まりのジョークで、学校の生徒でもみんな知っている。ロシア文学に食べ物の長たらしい描写が出てくるのは、もっぱら風刺的手法としてで、ばかげた状況や否定的な登場人物を嘲笑するのが目的だ(チェーホフ、ブルガーコフ、ゾーシチェンコ、ソローキン等々)。
従来、食べ物のことばかり話す人は、教養人の間では、ほかに話題のないおしゃべりとみなされて、「彼に頭が必要なのは、胃袋みたいに食べ物を詰め込むためだけさ」などと言われてきた。
それがなぜ今その伝統が崩れたのだろう?しかも、社会の貧富の差がますます拡大しているときに?
新聞で、腹を空かせた家族を食べさせるために24時間営業の店で強盗を働いた未成年者について報じられ、その後に、同じ紙面で!美味しそうな「ダチョウのカルパッチョ」の作り方が紹介されていれば、多くの人は怒りをあらわにするだろう。それでも、グルメブームはどんどん広がっている。これをどう説明できよう?
グルメブームはクレムリンの陰謀?
フェイスブックにこの疑問を投げかけてみると、多くの反響があった。
「それはクレムリンの陰謀です!」。一人は大まじめにこう答えてくれた。「国家が危機にある時、そのリーダーたちには身近な問題によって社会問題や不満から人々の注意を逸らすことが必要なんです。それで政府はみんなが自分の胃袋のことだけを考えるように特別の秘密の資金を費やしているのです」。
「逆ですよ!」別の人が反論している。「今日ロシアでは食について語るのが一番賢明なんです。なぜなら、政治について語るのは危険だし、現代芸術について語るのは退屈だし、身近な暮らしについて語るのは恐ろしいから。不平を言っても仕方がない。いったいほかに何が書けるでしょう?」。
「食べ物について論じるのがいちばん簡単なんです」三人目はこう言う。「そういう話題なら身を入れる必要はないし、自分の見解を持たなくてもいい。どのみち十人十色なので言い争いも起こりません」
「簡単なことさ!」私の旧友はこれについてこう語る。「私たちはソ連時代ずっと国内に閉じこもっていたから、世界の様子を知らなかった。ようやく今になって外国へ行ったり生活の楽しみを覚えたりしはじめたんだ… これはすばらしいことだよ!」
ほとんどないロシア料理レストラン
彼の言うことにも一理ある。ソ連時代には私たちはみんな家で食べていた。レストランへ行くのはほとんど無作法なことで、それは不要な浪費とみなされていた。それに、社会主義時代の外食の質はあまりにもお粗末だったので、人々は、家庭料理が一番と思い込むようになった。
どこかのレストランを褒めるとしても「家庭料理のように美味しい」と言ったものだ。私の母親が自分の得意料理であるチョウザメのホイル焼きを日本の客人たちにご馳走した時のことを憶えている。彼らは、すぐに「レストランみたいですね!」と彼女を褒め始めた。私は、客人たちが彼女をからかっているのではなく本当に褒めていることを哀れな母親に説明するのにとても苦労した。
そして今日、いかに逆説的であれ、ロシアにはロシア料理レストランというものがほとんど見当たらない。外国の友人たちに「何かお国料理で」ご馳走しようとするときに彼らを連れていくのは… ウクライナ料理レストラン。そこなら、ブリン(クレープ)もピロシキもボルシチもいろいろな種類が味わえる。
ちなみに、厳密に言えばロシアの文化はすべてキエフを起源としているので、「それはほとんど同じもの、ただもっと古いもの」なのだ。でないと、どうして世界で一番大きな国の都で「ロシア料理」という立派な看板にめったにお目にかかれないのか、誰も分かるまい。
せめて民族のアイデンティティー復活につながれば…
ならば、せめて自国の料理への回帰を通して、今日のロシア人は、自国のアイデンティティーを取り戻せるだろうか? 全世界のあらゆる未知のレシピを混ぜ合わせて新しいロシア料理をよみがえらせるだろうか?
そう信じたいところである。私たちロシア人が生活の向上を目指して戦っているうちは、貧富の差を縮めようと努力している限りは、ピラフのスシ、ダチョウのタルタルステーキ、キーウィ(鳥)のラグーについて読み、作り、食べようではないか。あるユーモア作家が言ったように、「もう唾液は流れている」のだから…。
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