コメルサント紙撮影
マトリョーシカといえばロシアン・スーベニール随一の定番――日本でもおなじみのあの色あざやかな木製の入れ子人形である。2014年ソチ冬季五輪の公式記念グッズにも指定されている。
マトリョーシカは様々なバリエーションがあちこちで作られているが、モスクワの東方400キロにあるニジニ・ノブゴロド州の古い町セミョーノフは、もっとも伝統的な絵付け(「セミョーノフ様式」と呼ばれる)と最大の製造量を誇る、いわばマトリョーシカのふるさとである。
早朝、こぢんまりとした町のあちこちの通りを数百人の女性が一斉に伝統工芸品会社「ホフロマ装飾」のマトリョーシカ工房に向かう。その多くは子供や孫を連れている。
同社の千人を超える従業員のほとんどが女性で、数少ない男性の大半は幹部職だという。「給与はささやかだけど、従業員数から言えば、わが社は人口2万5千のセミョーノフ市の基幹企業です」とアンドレイ・べセロフ社長は胸を張る。
だが、「手仕事なので制作費がかさみ、利益はほとんど出ません。うちの商品は食器、家具など色々あり、有名なマトリョーシカも年間約 25 万個も作っているんですけどねえ」。
マトリョーシカは、日本のこけしやだるまが起源との説もあり、誕生してからまだ 100年あまりしか経っていない。でも、なぜか昔からずっとロシアにあったように思える。
1922年に製造が始まった「セミョーノフ・マトリョーシカ」の特徴は、頬紅をつけ、黄色いスカーフ、赤いサラファン、花柄のエプロンというロシア娘伝統のいでたち。踊りの輪の中から抜け出したばかりのような鮮やかさだ。
「私はもう 40 年もマトリョーシカを作っている」。アンナ・マルイシェワさんは旋盤に素材の木材を取り付け、加工を始める。「この仕事が大好き。菩提樹の香りが好きなのね」。
旋盤でくり抜いたマトリョーシカの原型は、念入りに研磨し、ジャガイモ糊を塗り、乾燥させてから、絵付師に届けられる。
絵付け作業は当初から専ら女性が担当してきた。絵付師たちは、作業場に机を並べておしゃべりをしながら仕事をする。主任絵付師のワレンチナ・ダシコワさんは 37 年のベテランだが、 21 歳のスべータは人形の輪郭を担当して一年に満たない新人。サラファン、手、スカーフ、顔の輪郭を人形に描き込んでいく。その間、子どもの成績や夫婦仲、物価から洋服の裁ち方にいたるまでおしゃべりの話題はつきない。
「オリンピックの公式マスコットになれなかったのは残念だったけど、公式記念グッズになったし、セミョーノフ市は五輪文化行事のリストに加えられたしね。市のバス停や公共の乗り物をみな、民芸品風の絵で飾るプランを立てているの」とワレンチナさん。
従業員たちは、オリンピックで注文が増えて給与が上がるのを期待している。一方、社長は、五輪がマトリョーシカ生産を存続させる力になるのを願っている。
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