「愛」の刺青も誇らしげなナージャさんん =「イズベシチア」紙撮影
リ・マ・リティン(ロシア名アントン)とナージャ(共に30)は、黒河市対岸のロシア・アムール州都ブラゴベシチェンスクから500キロほどのボゴスロフカ村で知り合った。廃墟と化していた国営農場跡地を中国人が借り受け、様々な農作物をせっせと作り始めた。ナージャはじめ村人は、「他に仕事がなかったので」、みな雇われに行った。
「私が畑に出ると、そのたびにアントンもすぐに出てきたの」とナージャは回想する。「女房を喜ばせようとこんなに頑張る人は、ロシアじゃあまりいないわね」と彼女は微笑む。
今二人は、ブラゴベシチェンスク近郊の持ち家に移り住み、1800平米の農場を経営、元学校に小さな店も開き、洗剤から野菜にいたるまでありとあらゆる品を売っている。
イリーナ・ドゥン(28)は今や、黒河市中心部の立派なショッピングセンターの履物店の店長におさまっている。トン・ツィン・フア(ワロージャ)と結婚してもう10年になる。イリーナは、小さな村の子沢山の家庭に育ち、学校卒業後、ブラゴベシチェンスクの中国料理店でウェイトレスになった。ワロージャはそこの店長だった。
ワロージャがプロポーズしたとき、家族全員が猛反対した。イリーナより21歳も年上だったからだ。しかし両親は、愛娘の駆け落ち未遂のあとで、折れた。「今じゃ両親は、あの時お前が自分を通したのは正しかったね、と言ってくれるの」とイリーナは言う。
アムール州の両国人の関係には険悪な面もある。ブラゴベシチェンスクでは16年前に、善隣関係のしるしに露中友好公園が作られたが、そこに設けられたミニ「万里の長城」には悪口雑言が書きなぐられ、足もとにはガラスの破片がどっさり散乱している。「あいつらはおれたちの領土と資源をぶん取ろうとしているんだ」といった類の反感と恐怖、黄禍論は依然根強い。
しかし、夜、アムール州都の薄暗い河岸通りから対岸をのぞむと、黒河市が煌々と光り輝いている。つい10年前まで「ど田舎」だったのに、今ではその黒河市で、多くのロシア人が「ラクダになる」、つまり運送業をしており、中国から商品を50キロ運ぶごとに400ルーブル受け取る。
人の行き来がどんどん増え、交易が日増しに盛んになる。そのなかで男女が知り合い、結婚するのは自然なことだ。こういう確かな流れこそ、実はいちばん怖いのかもしれない。アムール州の人口密度は現在、1平方キロメートル当たり2,5人である。
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