フョードル・シャリャピン生誕140年記念

2月13日は、ロシアのオペラ歌手(声域はバス)、フョードル・シャリャピンの誕生した日から140年目にあたる。

 フョードル・イワノヴィッチ・シャリャピンは、1873年2月13日(ユリウス暦2月1日)、カザンの給仕の家庭で生まれた。青年時代から音楽に夢中になり、合唱団で歌っていた。

 本格的な音楽活動を始めたのは、セレブリャコフ劇団に入団した1889年だ。以来さまざまな地方の劇場で歌いながら勉強を続け、1895年4月、ついにマリインスキー劇場で、シャルル・グノーのオペラ「ファウスト」のメフィストフェレス役でデビューした。現在でもこのメフィストフェレス役はシャリャピンをイメージさせ、その舞台が基準と考えられている。

 1899からはボリショイ劇場とマリインスキー劇場のソリストを兼務した。また1901年には、イタリア・ミラノのスカラ座でシャリャピンの凱旋公演が行われた。セルゲイ・ジャギレフ率いる海外公演「ロシアのシーズン」にも加わるなどしていたが、第一次世界大戦で公演旅行は中断した。シャリャピンは戦争の負傷兵のために、自己資金で軍診療所を2ヶ所開設し、慈善事業にも多額を寄付した。

 1915年には歴史映画「イヴァン・ヴァシリエヴィッチ雷帝」(原作はレフ・メイの「プスコフの娘」)の主役を務め、映画デビューも果たした。

 1922年に海外公演に出発し、ソ連に戻らなかったため、1927年8月にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民委員会議の決定によって、功労芸術家の名称と帰国する権利をはく奪された。

 シャリャピンはロシア人作曲家のオペラの36役を含む、異なる67役をこなし、約400曲の歌やロマンスを歌った。

 1935年から1936年にかけて、自身最後となる57公演を、満州、中国、日本で行った。1937年春、白血病にかかっていることが判明し、1938年4月12日にパリでこの世を去った。シャリャピンはパリにあるバティニョール墓地に埋葬されたが、1984年に遺灰がモスクワに移送され、改めてノボデビッチ墓地に埋葬された。