ウプサラ・サーカスの新しいスペクタクル「夢の番人」の初演の準備を、数時間前に始める。主要なエピソードの通し稽古、強弱の調整。団員たちは舞台裏から浮遊し、ドームテントの下で宙返りをする。ウプサラ・サーカスのラリサ・アファナシエワ団長は、情熱的に団員を叱り、どの瞬間でエネルギーを抑え、どの瞬間で一気に発散するかを説明する。
ウプサラ・サーカスは2000年、サンクトペテルブルクで誕生した。これはゾウやピエロが出てくる普通のサーカスではなく、社会プロジェクトだ。サーカスの専門家はリスク群の児童などと活動している。プロジェクトのアイデアは、ストリートライフを送る不良たちに、まともな代案を提供すること。
通し稽古の後、団員はぞろぞろと楽屋に戻る。若いアクロバットのコーチであるニコライ・グルジノさんは、若い女子団員のおさげ2本をスプレーで固めながら、こんな風に話した。
「甥」=タチアナ・マリノフスカヤ撮影/ウプサラ・サーカス
「始めてこのサーカスを見たのは2000年代初頭で、まだ10歳だった。家庭で問題があったから、家をでてしばらく帰ってこないなんてことがよくあった。河岸通りで一輪車に乗っているラリサ(アファナシエワ団長)とアストリッド(ドイツ人女子学生のアストリッド・ショルン)を見かけた」
当時はサーカスの形にはなっておらず、ラリサとアストリッドの2人がいるだけで、道具も少しあるだけだった。2人は通りでパフォーマンスし、路上でフラフラしていた子供にやってみないかと声をかけていた。「僕と弟は最初に選ばれたメンバー。床から何からボロボロのひどい部屋で練習を始めたけど、おもしろかった。アクロバットやジャグリングを練習した」とグルジノさん。
演目「夢の番人」は、「おじいちゃん」が寝かせるまで寝ない、落ち着きのない子供の物語。ベッドの上でジャンプし、枕投げし、宙返りし、毛布にくるまって怖い話をし、眠っているふりをする。子供連れの家族がずらりと並ぶ客席からは、笑い声が聞こえてくる。
「サーカスがなかったら僕はどんな人間になってたんだろう。僕は狡猾で、図々しくて、授業に出ることもあったけど、サボってはタバコ吸ってた。その僕が今はコーチだからね」とグルジノさん。
「夢の番人」=ウプサラ・サーカス
ウプサラ・サーカスはすでに15年、サンクトペテルブルクで活動している。だが自分たちのテントを入手したのはつい最近だ。サーカスが「放浪」していた時代、プロジェクト「特別児童」も内部でできた。これは発達に特殊性のある子供のグループで、同じようにスペクタクルを行い、巡業している。昨年5月、主にダウン症候群のアーティストからなるグループが、ウプサラ・サーカスのレパートリーとなっているスペクタクル「ボニファツィイ」を演じた。
「子供達が自らここに来て、カラフルな小道具を手に取り、あれこれするようになった。子供達のやる気を支える以外、こちらの仕事がないほど。テントができたから、子供達をグループに加えて、もっと大きなことをさせることにした。成長させるために。これはセラピーではなくて、あくまでもサーカスであり、スペクタクルを用意している」とアファナシエワ団長は説明する。
発達に特殊性のある子供のグループは、サーカスで不良達と共演する。
「ロシアでは発達に特殊性のある子供が、『かわいそうで苦しくなるから見られない』ととらえられるか、または天から舞い降りた子供で天使、異星人ととらえられるかする。こういうのは極端。子供達には自分達なりの生活とエネルギーがあるだけ」とアファナシエワ団長。
「特別児童」にはスポンサーが見つかった。だが他のプロジェクトとなると、難しくなってくる。現在、第1閉鎖学校との共同プロジェクト「塀の中のサーカス」が進んでいる。この学校は矯正機関で、犯罪を犯した少年が入っている。サーカスのコーチはこの学校に来てパルクールを実施している。アファナシエワ団長は、子供の遊び場を別世界への出発点とするスペクタクルを計画中。
「プロジェクトの資金探しは今のところ大変。でもたとえ無料でも上演する」とアファナシエワ団長。
写真提供:ウプサラ・サーカス
不況の中、サーカスは独自の収益の上げ方とプロモーションの仕方を採用している。例えば、サーカスのために年金生活者の活動家が「ナノスニク(鼻あて)」を編むといった、「シルバーのボランティア」だ。ナノスニクとは、ポンポンの付け鼻のついたニット帽子である。これなら冬、鼻が冷たくならない。ナノスニクは市内のカフェやレストランで販売されており、将来的にはマトリョーシカのようにロシアのブランドの一つになるかもしれないと、サーカス関係者は考えている。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。